GHQの本部と司令官
こうして誕生したGHQ、日本では本部として当初こそ横浜税関が選ばれましたが、最終的には第一生命館のオフィスが本部に採用されました。また、皇居や東京駅に挟まれた場所に位置する丸の内地区のオフィスビルの多くが、駐留することになった連合国軍によって接収されています。
そして、総司令官を務めることになったのはダグラス・マッカーサー。本部・総司令官が決定したことで、いよいよGHQによる政策が開始されます。まずGHQが目的としていたのは日本の非軍事化であり、ただ容易に実現する問題ではなかったため、日本の非軍事化はGHQにとっての目的であると同時に課題でもありました。
ちなみに、そこまでして日本の非軍事化を目指したのは、日本の軍事能力が健在となると再びアメリカに刃向かってくる可能性があると危惧したからです。実際、日本はこれまでも軍国主義によって日清戦争・日露戦争・日中戦争を行ってきたため、警戒されるのも無理はなかったでしょう。
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東京裁判の開廷
日本の非軍事化を行うため、GHQは第二次世界大戦で日本を主導した人物らを逮捕して軍事裁判にかけます。その中には軍人だけでなく政治家も含まれていて、この軍事裁判を極東国際軍事裁判、または東京裁判と呼びました。この裁判によって東條英機をはじめとした7名に死刑判決が下ります。
東條英機は陸軍を経て関東軍に入った人物で、関東軍と言えば満州事変が有名ですね。また1941年には首相に就任しており、太平洋戦争を起こした人物でもありました。さらに、戦争中に大政翼賛会に加担したとされる人々も処罰され、二度と社会の表舞台に立てないよう公職追放されます。
大政翼賛会は日本の政党全てを解散させた新たに誕生した組織で、戦争中は軍の意向に国民を従わせるための橋渡し的な行動を取っていました。このようにGHQによる裁判や処罰は徹底されていて、戦争の加担・支持に関わったとされる実に25万名もの人々が裁判や処罰の対象となったのです。
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