「高を括る」の由来は?
それでは次に、なぜ「高を括る」には「見くびる」という意味が含まれるのかを考えていきましょう。
そもそも、「高を括る」の「高」は「石高」の「高」だといいます。「石高」とは日本において秀吉の太閤検地以降用いられた土地の生産量を示す基準ですね。ごくごく簡単にいいますとその国(家)の規模を表しているものです。五百石のナントカ家より一万石のカントカ家のほうが規模としては大きいということになります。
そして、さあ他の国に戦いを仕掛けようとなったとしますね。その時に、相手国の戦力を測るのにまず基準となったのが石高なのです。「あそこの土地が欲しいなあ。よし、戦に勝って我が物にするぞ。えーと、相手の国の強さは、と。石高を括ってみよう。どれどれ、二万石か。こちらは三万石だ。おう、勝てるではないか。むっひっひ。いざ、出陣じゃ」というわけで開戦。しかし、石高はあくまでも国の指標のひとつに過ぎません。すべてが明らかになるものではないのです。石高が低いからといって兵力も低いとは限らない。むしろ、格下だと付け込まれるのを見越して兵力の充実に力を入れている場合だってある。結果、弱いと思って甘く見ていた相手に敗戦。敗因はもちろん兵力を低く見積もっていたこと。
おそらく、このような事例がいくつもあったのでしょう。次第に「おいおい。高を括ってると負けるぞ、これ」という空気になり、やがて「見くびる」「侮る」というニュアンスを込めて「高を括る」が使われるようになったのです。
「高を括る」の使い方・例文
それでは「高を括る」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。
・最近は夜中のラーメンを控えているので血糖値は正常だろうと高を括っていたのだが、健康診断で予想外に高い数値が出て驚いた。ラーメンを焼きそばに替えても駄目ということらしい。
・相手チームは強豪だがエースピッチャーが怪我をしているので楽勝だと高を括っていたら、歴史的大敗を喫した。選手層の厚さを見誤ったのが原因だ。
・少し曇っているけど雨は降らないだろう、と高を括っていたら記録的大雨でずぶ濡れになりました。天気予報を信じるべきでした。
・おれだけは大丈夫だ、と高を括らないほうがいいとおもう。この人生、なにが起きても不思議ではない。高を括るよりは、腹を括っておいたほうがいい。(『おやじ論』勢古浩爾)
・野本氏があれほども自分のものだと信じきっていた妙子が、彼には一とことの断りもなく、一同がまさかこの男がと、高をくくっていた、あのむっつりやの北川氏に嫁してしまったのであった。(『恐ろしき錯誤』江戸川乱歩)
・日ごろから、酒を嗜む謙吉はこの病気を恐れないではなかった。しかしそれは観念だけのことで正直に言えば、まだまだ高をくくっていたのだ。(『春の夜の夢』外村繁)
典型的な使い方としては「高を括った。その結果痛い目を見た」という構図ですね。予測がズバリ的中して良い結果が生まれた場合には「高を括った」とはあまりいいません。「高を括って臨んだけど楽勝だったよ。人生イージーモードだな」といっていえないことはないのですが、一般的ではないですね。負けたから結果的に見くびっていたことになるのであって、勝ったなら見くびっていたのではなく正当な評価をしただけということにもなるからでしょうか。あるいは、「調子に乗って世の中をなめてかかってる奴には災いあれ」という意識が我々の心の中に潜在的にあるのかもしれません。
それはともかく、こうして例文を見てみると、数や量など「高」として数値化できるものに限らずもっと幅広く、人の心や自然現象などの「蓋然性」に対しても使われることがわかると思います。今はむしろ後者の使い方のほうが主流かもしれません。「こんなことは起こらないだろう」とか「こういう風にはしないだろう」とか、要するに「自分にとって都合の良い方向に物事が進むはずだと予測すること」が「高を括る」の本意になりつつあるといえるのではないでしょうか。
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