日本史明治歴史

明治政府が作った特権階級「華族」とは?誕生から廃止まで元塾講師が簡単にわかりやすく解説

今日は華族(かぞく)について勉強していきます。明治時代を勉強していると、人物に対して公爵や男爵とつけられていることがあり、そのまま覚えつつも呼び名に疑問を感じた人もいるでしょう。

これについて解説すると、公爵や男爵というのは華族におけるランクを示す表現です。では華族とは何なのか?そこで、今回は華族について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から華族をわかりやすくまとめた。

華族誕生のいきさつ

image by PIXTA / 61941642

幕府が政権を握っていた江戸時代、幕末の戊辰戦争によって幕府の時代は終わり、日本は明治政府による新たな時代へと突入していきます。外国と対等に渡り合える日本作りを目指す明治政府は近代化を進めていきますが、明治時代が始まって間もない頃の日本の状態は政府を悩ませるものでした。

中央集権化に向けた廃藩置県の実施

江戸時代の名残から日本にはが存在しており、しかも藩によって貨幣・言葉・法律までもがバラバラになっていたのです。現在で例えるなら県によって法律が全く異なる状態に等しく、これではいかなる政策を打ち出してもスムーズに進められず、日本は江戸時代までの状態と全く変わらないでしょう。

そこで明治政府はひとまず藩をなくすことを考え、言わば藩という名の国境を消去することで日本を一つにしようとします。その上で政治改革を打ち出し、その中で明治政府が頂点に立つという中央集権国家を形にしようとしたのです。そこで明治政府は1871年に廃藩置県を行います。

権力を失った藩主への配慮

廃藩置県とは文字どおり藩を廃止して県を配置する政策であり、県の頂点に立つ者として県令が明治政府より派遣されました。ちなみに、県令とは現在の県知事にあたる存在とイメージすると分かりやすいでしょう。ただ、それを行うとなると考えなければならないのがこれまで藩主を務めたきた者達の処遇です。

藩主の権力の高さは江戸時代の薩摩藩などに注目すると明らかで、突然藩を廃止され、なおかつ県令を設置されたとなれば、藩主は突如権力を失うため納得するはずありません。明治政府も当然その点は考慮しており、東京への移住を命じた藩主達を華族として特別な扱いをすることにしたのです。

最も、華族は版籍奉還を行った時に誕生した特権階級で、廃藩置県で藩主を華族したことはあくまでも配慮でしょう。また、華族が誕生したことで公家だった家も全て華族になりました。

ここで気になるのは貴族と華族の違いですが、貴族は華族と同じく国から特権を与えられた社会層の出身者を示すため、貴族は華族でもあり、華族は貴族でもあるのです

華族令の発令

image by PIXTA / 42991251

明治政府は華族の中でランク分けをすることを考案し、1884年に華族令を発令します。

\次のページで「明治時代にも存在した身分制度」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: