今回は新約聖書を取り上げるぞ。キリスト教の正典ですが、信者でなくてもいろいろと詳しく知りたいよな。

その辺のところを子供の頃からキリスト教になじんでいるあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、キリスト教の歴史にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、新約聖書について5分でわかるようにまとめた。

1-1、新約聖書とは

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新約聖書は、キリスト教徒にとっての正典で、旧約聖書を第1部、新約聖書は第2部とされていて、内容はイエス・キリストの生涯、死そして復活、初代教会の発展信仰証言について書かれた27の書で構成。

また、新約という名前はマルコによる福音書 14章24節の「新しき契約」が由来で、神が預言者モーセを通して与えた救いの契約である旧約が民の律法の義務の不履行で破られたのちに、十字架にかけられたイエスの受難を通して、神とすべての人類との間に新しい契約が結ばれたという意味

尚、「聖書」は英語で「bible(バイブル)」ですが、ギリシア語が語源で「ビブリヤ(数冊の本)」という意味だということ。

1-2、旧約聖書との違い

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旧約聖書はユダヤ人とヤハウェ神の救いの約束を記した書だが、新約聖書はイエス=キリスト(救世主)による救いの約束が記してあるということ。尚、旧約聖書はユダヤ教、イスラム教でも正典として用いられるが、新約聖書はイエスを救世主メシヤと認めたキリスト教だけの正典。

2-1、新約聖書の成り立ちは

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Anonymous (photo by Adrian Pingstone) - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

新約聖書は救世主イエスの教えだが、イエス自身が書いたわけではなく、イエスの行いや言ったことをその弟子たちが伝え、伝道されるうちにまとめられたもの。

イエスはアラム語を使っていたとされているが、この新約聖書はほとんどが、布教の対象だった小アジア、ギリシアで用いられていたという、ヘレニズム世界の共通語のギリシア語で書かれていたということ。そして2世紀から3世紀にかけての間に各巻ごとに書かれたが、グノーシス派という異端派との対立があったせいで、正しい聖典を制定する必要性が出来たために、397年のカルタゴ公会議で現在の27巻が公認されることに。そして4世紀末、ヒエロニムスにより、聖書は古代ローマ帝国の公用語のラテン語に翻訳。

印刷技術のない時代、写本は貴重なものだったうえに、ラテン語が理解できる人間は限られていたため、ローマ・カトリック教会では聖職者がいわば聖書の知識を独占、キリスト教が広まったのちのヨーロッパでは、中世の農民、庶民の信仰の拠り所は、聖書ではなく教会での聖職者の説教が頼りだったということ。そしてカトリック教会の説教が本来の聖書から離れていったために、それに対する批判がおこったなどで、14世紀のイギリスで、ウィクリフが初めて聖書を英語に翻訳し、異端として弾圧されたそう。

その後16世紀の宗教改革ではマルティン・ルターがドイツ語に翻訳、そしてルネサンス期にグーテンベルクらの活版印刷で、はじめて聖書は一般庶民が読めるものに。

2-2、新約聖書の構成

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不明 - Chester Beatty Library, Dublin, Ireland[1] [2], パブリック・ドメイン, リンクによる

新約聖書は、福音書、使徒言行録、パウロの書簡、公同書簡、黙示録という構成になっていて、福音書の内容は、神からの喜ばしい知らせである福音をもたらしたイエスの教えと生涯を記した記録で、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の4つがあり、使徒言行録はイエスの死後、ペテロ、パウロらの使徒が中心に行った伝道活動についてをルカが書いたとされているということ。

そしてパウロの手紙は、迫害する側だったが、イエスの死後キリスト教徒となったパウロが伝道をしながら各地の教会に書いた書簡集で、公同書簡はパウロ以外の使徒たちによる書簡。また、新約聖書で唯一の預言書のヨハネの黙示録は、古代ローマ帝国の迫害下にあった信者に対し、忍耐と希望を呼びかけ、世界の終末、キリストの再臨、最後の審判などについて書かれたもので、ギリシアのパトモス島に暮らしていたヨハネが幻視したものについて語り、地上の国の滅亡と、神の国の到来を示したそう。

尚、福音書を書いた人は、「福音書記者」、「福音史家」などと呼ばれていて、マタイとヨハネは12使徒、ルカは医師でマルコとともに、ペテロとパウロの弟子ということですが、歴史的事実として解明されたわけではなく、書いた人よりも内容重視でみられているということ。

3-1、新約聖書の名言

聖書の言葉は聖句といいますが、誰もがどこかで聞いたことがあるはず、外国の小説や映画などでもよく引用される名言をご紹介しますね。

\次のページで「3-2、人はパンのみにて生くるにあらず」を解説!/

3-2、人はパンのみにて生くるにあらず

マタイの福音書第4章第4節

洗礼を受けたあとに、イエスが荒れ野で修行していたとき、サタンが現れ、空腹なら石をパンに変えればよい、と言うと、「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてあると」いうことで、人間が生きるのは、物質的なものだけによるのではなく、神の御言葉に養われて、初めて本当の意味で生きることができるという意味だということ。

3-3、だれかがあなたの右の頬を打ったら、左をも向けよ

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カール・ハインリッヒ・ブロッホ - http://4.bp.blogspot.com/_Ycv0BE0wFr4/TU8WRXJmxYI/AAAAAAAAAgI/2QjVrd4bEHo/s1600/Sermon_on_the_Mount_Carl_Bloch.jpg および Carl Bloch, p. 313, ISBN 9788798746591, パブリック・ドメイン, リンクによる

マタイの福音書第5章第39節

イエスが12人の弟子と一行に従う人を山に集めてユダヤの律法の解釈を説明した、山上の説教または山上の垂訓という有名な場面で用いられたもので、「敵を愛せよ、自分を迫害するもののために祈れ、人を裁いてはならない、自分が神に裁かれないため」と続きます。

3-4、狭き門より入れ

マタイの福音書第7章第13節と14節

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか、それを見いだす者は少ない」ジイドの小説「狭き門」の表題にもなり、競争率の高い大学や会社という使い方もされ、困難な道をあえて選んでがんばると成功するという意味でも使われるが、当時迫害されていたキリスト教の信仰を選ぶと救われるという意味だそう。

3-5、神聖なものを犬にやるな。真珠を豚に投げてやるな

マタイの福音書第7節第6節

「豚はそれを足で踏みつけ、あなたたちをかみ裂くかもしれない」と続く、「豚に真珠」のもととなった言葉で、「値打ちがわからない者には、どんなに高価で価値のあるものを与えても意味がない」という意味で使用。

聖書では真珠は、古代から高価な宝石として扱われ、神の御国を表すのに用いられていること、そして犬や豚は、モーセの律法下では汚れた動物とされていたため、マイナスなイメージのたとえに使われることが多く、犬や豚が人間を表すのに用いられたときは、神の義の道を捨てて、道徳的に汚れた状態にある人間という意味だそう。

\次のページで「3-6、明日のことを思いわずらうな」を解説!/

3-6、明日のことを思いわずらうな

マタイの福音書第6章第34節

イエス・キリストの山上の垂訓または山上の説教と呼ばれる有名な説教の中の言葉で、「明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう」と続き、「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食べ物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。

それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれたものではないか。あなたがたのうち、誰が思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」ということで、一日の苦労は、その日一日だけで一十分であるということだそう。

3-7、こころの貧しい人たちは、さいわい、天国は彼らのものである

マタイの福音書第5章3節

讃美歌などにもなっている有名な聖句で、「悲しんでいる人たちは、さいわい、彼らは慰められるだろう。柔和な人たちは、さいわい、彼らは地を受けつぐだろう。義に飢えかわいている人たちは、さいわい、彼らは飽き足りるようになるだろう。あわれみ深い人たちは、さいわい、彼らはあわれみを受けるだろう。心の清い人たちは、さいわい、彼らは神を見るだろう。平和をつくり出す人たちは、さいわい、彼らは神の子と呼ばれるだろう。義のために迫害されてきた人たちは、さいわい、天国は彼らのもの」と続きます。

迫害され打ちひしがれた人は、自分の内側には何の可能性も見出せず絶望し、何の希望も持つことができないものだが、その人の目は神に向けられているということで、神に希望を見出そうとしている人が、「心の貧しい人」であり「柔和な人」であるそう。イエスはそういう神に希望を見出そうとする人々を天国の民といい、神の救いをすでに受けた人だと語ったのだということ。

3-8、一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである

ヨハネの福音書第12章第24節

「しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶように」と続く、イエスが十字架に向かっていくときの言葉で、そしてイエスが十字架にかけられて死ぬことで初めて豊かな実を結ぶという意味だということ。イエスが死によって多くの人々を救い生かすことになるという、キリストの十字架の結末。

それが転じて、ひとりの人が多くの人を救うための自己犠牲を行うとか、研究分野などで熱心に研究して生涯をささげたことが、たとえ生前は理解されなくても、ずっと後にそのことが人々に多大な影響を与えることに使われるように。

3-9、求めよ、さらば与えられん

マタイによる福音書第7章第7節

「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。捜せ、そうすれば、見いだすだろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるだろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからです。あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があるでしょうか。魚を求めるのに、へびを与える者があるでしょうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあるでしょうか。」と続き、神に心から祈り求めると、神は正しい信仰を与えてくださるという意味だということ。

そして物事を成就しようと思えば与えられるのを待つのではなく、自分から進んで求める姿勢が大事で、努力すれば何でもできるという意味でつかわれるように。

3-10、始めに言葉ありき

ヨハネの黙示録第1章第1節

旧約聖書の創世記の天地創造と同じく、神の言葉が最初にありすべてのものが神に作られたという意味だそう。

3-11、神はあなたがたを耐えられない試練に合わせることはしない

コリント人への第一の手紙第10章第13節

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」これはアメリカのジョン・F・ケネディー大統領の母ローズ・ケネディーのコメントとして聞いたことがありますが、人生の困難な時期にあたって必要な聖句かも。

\次のページで「3-12、愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません」を解説!/

3-12、愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません

コリントの信徒への手紙一第13章第4節から7節

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えるもの」

大変有名な愛の賛歌で、現在は寛容が忍耐強い、親切が情け深いと変わっていますが、結婚式などにも使われる名文句で、愛がなければ何も意味がないということでしょう。

キリスト教信者だけでなく、キリスト教文化を知るためにも必要な本

新約聖書は神との新しい契約という意味で、イエス・キリストの教えを弟子たちが手紙や文書で表した、イエスを救世主として認めたキリスト教の正典。

紀元後2,3世紀にギリシア語で書かれ、その後宗教会議で正典とピックアップされた文書で構成され現在の形に。そして、ヨーロッパに普及したのちはラテン語で書かれた聖書をカトリック教会や為政者が独占、ラテン語がわからない一般人は教会でしか聖書の話を聞けず、ただただイエスの受難を悲しんで一日中泣いていたという話もあるそう。そして最初にドイツ語に翻訳したのがマルティン・ルターで、以後次々とその国の言葉で翻訳され、やっと一般庶民が手に取って読めるように。日本では幕末から明治にかけてヘボン博士らが日本語に翻訳。

そういうわけで、聖書を読んだことはなくても、なじみのある名言は多いはずだし、西欧文化ではルネッサンスの美術から文学、音楽に至るまでのモチーフにもなっているため、ギリシア神話と同じく聖書の知識があれば理解が深まるということで、信仰と関係なく西欧世界の歴史や価値観の理解につながる書物として欠かせないものといえるのでは。

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ヨーロッパの歴史世界史歴史

イエスの言葉を表したキリスト教の正典「新約聖書」を歴女がわかりやすく解説

今回は新約聖書を取り上げるぞ。キリスト教の正典ですが、信者でなくてもいろいろと詳しく知りたいよな。

その辺のところを子供の頃からキリスト教になじんでいるあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、キリスト教の歴史にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、新約聖書について5分でわかるようにまとめた。

1-1、新約聖書とは

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新約聖書は、キリスト教徒にとっての正典で、旧約聖書を第1部、新約聖書は第2部とされていて、内容はイエス・キリストの生涯、死そして復活、初代教会の発展信仰証言について書かれた27の書で構成。

また、新約という名前はマルコによる福音書 14章24節の「新しき契約」が由来で、神が預言者モーセを通して与えた救いの契約である旧約が民の律法の義務の不履行で破られたのちに、十字架にかけられたイエスの受難を通して、神とすべての人類との間に新しい契約が結ばれたという意味

尚、「聖書」は英語で「bible(バイブル)」ですが、ギリシア語が語源で「ビブリヤ(数冊の本)」という意味だということ。

1-2、旧約聖書との違い

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旧約聖書はユダヤ人とヤハウェ神の救いの約束を記した書だが、新約聖書はイエス=キリスト(救世主)による救いの約束が記してあるということ。尚、旧約聖書はユダヤ教、イスラム教でも正典として用いられるが、新約聖書はイエスを救世主メシヤと認めたキリスト教だけの正典。

2-1、新約聖書の成り立ちは

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Anonymous (photo by Adrian Pingstone) – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

新約聖書は救世主イエスの教えだが、イエス自身が書いたわけではなく、イエスの行いや言ったことをその弟子たちが伝え、伝道されるうちにまとめられたもの。

イエスはアラム語を使っていたとされているが、この新約聖書はほとんどが、布教の対象だった小アジア、ギリシアで用いられていたという、ヘレニズム世界の共通語のギリシア語で書かれていたということ。そして2世紀から3世紀にかけての間に各巻ごとに書かれたが、グノーシス派という異端派との対立があったせいで、正しい聖典を制定する必要性が出来たために、397年のカルタゴ公会議で現在の27巻が公認されることに。そして4世紀末、ヒエロニムスにより、聖書は古代ローマ帝国の公用語のラテン語に翻訳。

印刷技術のない時代、写本は貴重なものだったうえに、ラテン語が理解できる人間は限られていたため、ローマ・カトリック教会では聖職者がいわば聖書の知識を独占、キリスト教が広まったのちのヨーロッパでは、中世の農民、庶民の信仰の拠り所は、聖書ではなく教会での聖職者の説教が頼りだったということ。そしてカトリック教会の説教が本来の聖書から離れていったために、それに対する批判がおこったなどで、14世紀のイギリスで、ウィクリフが初めて聖書を英語に翻訳し、異端として弾圧されたそう。

その後16世紀の宗教改革ではマルティン・ルターがドイツ語に翻訳、そしてルネサンス期にグーテンベルクらの活版印刷で、はじめて聖書は一般庶民が読めるものに。

2-2、新約聖書の構成

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不明 – Chester Beatty Library, Dublin, Ireland[1] [2], パブリック・ドメイン, リンクによる

新約聖書は、福音書、使徒言行録、パウロの書簡、公同書簡、黙示録という構成になっていて、福音書の内容は、神からの喜ばしい知らせである福音をもたらしたイエスの教えと生涯を記した記録で、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の4つがあり、使徒言行録はイエスの死後、ペテロ、パウロらの使徒が中心に行った伝道活動についてをルカが書いたとされているということ。

そしてパウロの手紙は、迫害する側だったが、イエスの死後キリスト教徒となったパウロが伝道をしながら各地の教会に書いた書簡集で、公同書簡はパウロ以外の使徒たちによる書簡。また、新約聖書で唯一の預言書のヨハネの黙示録は、古代ローマ帝国の迫害下にあった信者に対し、忍耐と希望を呼びかけ、世界の終末、キリストの再臨、最後の審判などについて書かれたもので、ギリシアのパトモス島に暮らしていたヨハネが幻視したものについて語り、地上の国の滅亡と、神の国の到来を示したそう。

尚、福音書を書いた人は、「福音書記者」、「福音史家」などと呼ばれていて、マタイとヨハネは12使徒、ルカは医師でマルコとともに、ペテロとパウロの弟子ということですが、歴史的事実として解明されたわけではなく、書いた人よりも内容重視でみられているということ。

3-1、新約聖書の名言

聖書の言葉は聖句といいますが、誰もがどこかで聞いたことがあるはず、外国の小説や映画などでもよく引用される名言をご紹介しますね。

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