2-5 危機感を強める議会
1688年には2人目の妃との間に息子が誕生しました。ジェームズは息子ジェームズ・フランシス・エドワードをカトリックとして洗礼させました。これに対し、議会は次の国王もカトリックとなることを警戒します。そしてオランダへ嫁いだジェームズの長女メアリー、彼女の夫ウィレムと密に連絡を取りました。
3 名誉革命勃発
ジェームズの親カトリック政策、専制政治の姿勢が強まるにつれ警戒していく議会。更に1688年にジェームズは息子をカトリックの洗礼を受けさせたことで、議会から次の国王もカトリック教徒となるのではないかと危惧されます。ジェームズのこれらの動きから議会はオランダへ嫁いだジェームズの長女メアリー夫妻をイングランドへ迎えようと画策することに。それではその経過を解説していきます。
3-1 議会は娘メアリ夫妻を招く
ピーター・レリー – http://www.royaltyguide.nl/images-families/stuart/1662%20Mary-10.jpg originally uploaded on de.wikipedia by Thyra (トーク · 投稿記録) at 2007年12月13日, 12:37. Filename was 1662 Mary II.jpg., パブリック・ドメイン, リンクによる
ジェームズ2世の政策などから危機感を抱いた議会はオランダへ嫁いだ長女メアリーとその夫のウィレムを国王として招くことに。ジェームズ2世の娘、メアリーとアンは父とは違ってプロテスタントを信仰。議会にとってプロテスタントであり、カトリック国フランスのルイ14世と戦うオランダのウィレムを王位に就けることはとても好ましく感じていました。一方のウィレムもイギリスを味方につけたいとの考え。こうして双方の利害が一致したことで、2人はイギリスへ向かうことに。
3-2 名誉革命
1688年の6月。議会は正式にウィレム夫妻をオランダから招くことを決定。そのわずか3ヵ月後にウィレムは5万の兵を伴ってイギリスへ向かいます。これに対してフランスのルイ14世はジェームズを助けるため援軍しようとしますが、なんとこれをジェームズは拒否。自前の兵でなんとかできるとおごっていたためでした。しかし次々に貴族や家臣らはジェームズを裏切り、なす術が無くなったジェームズが亡命。こうしてこの一連の革命は一滴の血が流れることなく革命が起こったため、名誉革命と呼ばれることに。
3-3 権利の章典
1688年の名誉革命によってジェームズ2世は追放。そしてオランダからステュアート家の血を引くメアリーとウィレムが招かれることになりました。2人は共同統治という形でイギリスを統治することに。(メアリーはメアリー2世、ウィレムはウィリアム3世として即位します)統治するにあたり、議会は権利の章典を制定。これはこれまで国王が外交交渉権、徴税権(関税など)、行政執行権の権利を持っていましたが、それを取り上げるもの。この権利の章典により、イギリスでは立憲君主制が確立していくことに。
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