日本史

江戸時代後期の庶民文化「化政文化」を歴女がわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ、今回は化政文化を取り上げるぞ。江戸時代の文化だが、どんなものが流行したのか、いろいろと詳しく知りたいよな。

その辺のところを江戸時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、江戸時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、化政文化ついて5分でわかるようにまとめた。

1-1、化政文化(かせい ぶんか)とは

化政とは文化、文政という年号の略で、江戸時代後期(1804年から1830年)を最盛期とする、江戸を中心として発展した町人文化のこと。浮世絵や滑稽本、歌舞伎、川柳など、現代に知られる江戸時代を代表する町人文化で、学問の分野では国学、蘭学も大成。

また従来は、江戸の三大改革の寛政の改革と天保の改革の間の時期ということで、18世紀後半から19世紀前半の長い期間とされて、享保の改革と寛政の改革の間、宝暦から天明期の田沼時代の文化も化政文化に含まれていたが、近年は宝暦、天明文化と新たな時代区分が定義されるようになったため、化政文化の代表と扱われていた、田沼時代の蘭学者で「解体新書」の杉田玄白、日本のダビンチと言われた平賀源内、国学者の本居宣長、俳句の与謝蕪村、狂歌の大田南畝などが、宝暦、天明文化に変更されるようになったそう。

1-2、化政文化の時代背景は

image by PIXTA / 54489800

化政文化は、寛政の改革と天保の改革の間で、11代将軍徳川家斉の治世。家斉は隠居して大御所となってからも政治の実権を握っていたため、後に大御所時代と呼ばれるように(家斉が大御所だったのは4年だが、将軍時代の50年間も含めてを大御所時代というそう)。

家斉は、御三卿の一橋家の生まれで、天明6年(1786年)10代将軍家治が50歳で病死したため、天明7年(1787年)に15歳で11代将軍に就任。就任当時は家斉の父一橋治済らが実権を握り、家治時代に権勢を振るった田沼意次を罷免、代わって徳川御三家からの推挙もあり、陸奥白河藩主で名君の誉れ高い松平定信が老中首座に任命されて寛政の改革を主導。

幕府財政の建て直しのために積極的に倹約など厳格な政策が推し進められたが、あまりに厳し過ぎたため、将軍家斉や幕府上層部からの批判が高まって、閑院宮への尊号問題、大御所問題などもあり家斉と定信は対立、寛政5年(1793年)7月に定信は罷免され失脚。その後は老中松平信明らに定信の政策は受け継がれたが、文化14年(1817年)、信明が病死後、家斉はかつて田沼意次派に属していた水野忠成を老中首座に任じたのち、厳格過ぎた寛政の改革に対する反動もあってか、賄賂政治が横行、幕府財政の破綻、幕政の腐敗、綱紀も乱れ、家斉自身も豪奢な生活を送るようになり、爛熟した化政文化の花開く時代に。

尚、家斉の死後に、幕政建て直しとして水野忠邦が天保の改革を行ったが、化政文化で花開いた庶民の楽しみをことごとく贅沢として禁止し、戯作者や版元、歌舞伎役者らを処罰したなど、あまりに厳しい統制がされて化政文化は衰退し、天保の改革も失敗に。失脚した水野の屋敷には庶民から石が投げられたということ。

1-3、化政文化の特徴

化政文化は、江戸前期の町人文化である元禄文化と対比されることが多いが、元禄文化は上方が中心で文化を担ったのは上層町人、かなり派手なものであったが、化政文化は江戸を中心として地方にも広がり、担い手は市井の中小商工業者が中心の庶民文化で、時代を反映してか退廃的で刹那的、享楽的色彩が強いという違いがあるそう。

2-1、主な化政文化の作品、作者たちをご紹介

文学、芸術、学問と広い分野にわたり、現在も日本の芸術の代表とされる作品も多数あります。

2-2、文学

洒落や通を好む退廃的で刹那的、享楽的という時代風潮をあらわした洒落本、黄表紙、人情本などが流行し、交通の発達で一般庶民の間でも湯治や寺社参詣、伊勢参りなどが盛んになり、各地の文化、情報の行き来が盛んとなって旅行記なども書かれるように。

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江戸時代は識字率が高かったって、いろんなジャンルの読み物があったからかな

2-3、洒落本

遊里(ゆうり、遊郭のこと)を題材にした短編小説のことで、江戸では通書、大坂では粋書という別名も。表紙の色から蒟蒻本とも。代表的な作家は、山東京伝(さんとうきょうでん)。作品は「通言総籬(つうげんそうまがき)」「傾城買四十八手」など。京伝は、黄表紙や洒落本のほか、絵師北尾政演(まさのぶ)として浮世絵も描いた多彩な人だったそう。

寛政の改革で、深川風俗を描いた「仕懸文庫(しかけぶんこ)」(仕懸文庫は遊女の着替えを入れて持たせる手箱)などの洒落本三部作が出版取締令に違反したとされて、著作は絶版の上、京伝は手鎖50日の刑に処せられた後、読み本作者に転向したということ。門人が曲亭馬琴、実弟は合巻(ごうかん)作家山東京山。

2-4、黄表紙

 表紙が萌黄色だったために黄表紙といわれたが、滑稽な笑いが主の成人向けの絵入り小説のことで、代表的な作家は、恋川春町(こいかわはるまち)。春町は浮世絵師、 戯号を酒上不埒(さけのうえのふらち)という狂歌師であるなど、多彩な顔をもっていたということ。

代表作の「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」は、当世流行の服装の遊び人の伊達男の「金々先生」が主人公で、大金持ちの養子になり大通(だいつう)ぶって豪勢な遊里遊びをするが、養家から勘当されて栄花30年の夢から覚めるという筋。ほかには山東京伝の「江戸生艶気樺焼」、春町の「鸚鵡返文武二道」など。

尚、「金々先生栄花夢」以降、それまでは子供を対象としていた草双紙が大人のものとなったため、これより前のものを青本、以降のものを黄表紙と区別することに。

2-5、滑稽本(こっけいぼん)

会話文を主体とした平易な文章で、筋を重要視せず場面場面で単純な言葉の引っかけや常識から逸脱した言動、下ネタなどで大衆的な読者の笑いをとるため、当時の落語にも影響を与えたということで、滑稽本に書かれた話が落語として寄席で演じられることもあったそう。代表的作家に「東海道中膝栗毛」の十返舎一九(じっぺんしゃいっく)と、「浮世風呂」、「浮世床」の式亭三馬(しきていさんば)。

「東海道中膝栗毛」は「弥次さん、喜多さん」の凸凹コンビが東海道を上方へ向かう珍道中が庶民の人気となり、享和2年(1802年)に刊行後、21年もの間道中記が継続し「金比羅(こんぴら)参詣」、「宮島参詣」など続編まで登場したということ。

2-6、人情本

女性が対象の恋愛小説のことで、恋に泣く場面が多いために「泣本(なきほん)」という別称もあり、絵が少なく、仮名が多かったということ。代表作家は為永春水で、代表作は「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」と続編の「春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)」

2-7、読本(よみほん)

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Hannah – Japanese Book 『國文学名家肖像集』, パブリック・ドメイン, リンクによる

黄表紙などの草双紙が絵が主だったのに対し、ストーリーの面白さで読ませる小説のことで、空想的で伝記的な要素が強くあり、勧善懲悪や因果応報の趣旨で書かれたものが多いということ。またこの読本は高価なので貸本屋を通じて流通したそう。

代表的な作家は、国学者の上田秋成で、代表作の「雨月物語」は、日本、中国古典をもとにした翻案の怪奇小説集。そして曲亭馬琴(きょくていばきん)も後期の代表的作家で、代表作は「南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)」「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」など。

2-8、合巻(ごうかん)

合巻は、それまで5枚1冊を別々に綴じていたのを、文化元年(1804年)頃に纏めて厚く綴じた形態の草双紙のことで、大衆向け絵入り娯楽小説の作品が長変化し、3冊1部、または5冊1部で物語が完結するよう作られていたそう。

代表的な作者は、柳亭種彦、代表作は「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」で源氏物語の世界を室町時代に移した物語。当初は、著者も「源氏物語」全54帖を翻案、出版するつもりはなかったが、大好評だったので毎年数編が刊行されたということ。水野忠邦の天保の改革で、「11代将軍家斉の大奥の内情を書いた」などの噂をもとに絶版と種彦の断筆が命ぜられて、38編で終了。

2-9、その他の文学

俳諧では小林一茶、良寛和尚の和歌、柄井川柳の川柳なども。

3-1、美術、絵画

浮世絵、文人画に風景画など、日本を代表する名作が作られました。

3-2、浮世絵

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東洲斎写楽http://visipix.com/index_hidden.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

 版画では、多彩な色彩を表現できる技術が向上し、作られた版画は錦絵(浮世絵)と呼ばれるように。幕末にロンドン、パリ、明治時代のウィーン万国博覧会で、ジャポニズムとしてもてはやされ、現代でもむしろ外国で人気が高い浮世絵の数々はこの時代に生まれたものがほとんどということ。

美人画、風景画、役者や相撲取りを描いた浮世絵の代表作者は、細身で可憐、繊細な表情の美人画で人気を博した鈴木春信、富士山を題材にした「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などの葛飾北斎、「東海道五拾三次」の歌川広重、なぞの多い東洲斎写楽、美人大首絵の喜多川歌麿など。

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ほおお、俺でも知ってるくらい有名なものばっかりだな

3-3、文人画

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Watanabe Kazan (1793-1841) 渡辺崋山 – SEIKADO BUNKO ART MUSEUM 静嘉堂文庫美術館, パブリック・ドメイン, リンクによる

 文人画とは画家を職業としない文人が余技として描いた絵画のことで、化政文化の主な文人画家は、独自の写実性で優れた肖像画などを残したが、蛮社の獄で弾圧された小藩の家老渡辺崋山、伝統的な日本画に西洋絵画の表現法をとり入れ、日本南画の祖と呼ばれた池大雅のほかに、谷文晁、浦上玉堂らが。

3-4、写生画

 写生を重視した親しみやすい画風が特色で、「足のない幽霊」(諸説あり)を描いた最初の画家と言われる円山応挙、円山応挙の高弟で大胆で斬新な構図を用いて、奇抜な画風を展開した長沢芦雪、京都四条派の祖と言われる呉春(松村月溪)など。

3-5、その他の美術

琳派を江戸に定着させ江戸琳派の祖と言われる姫路藩主酒井家の弟の酒井抱一(ほういつ)、その弟子の鈴木其一(きいつ)、浮世絵師でもあったが、蘭学者で平賀源内の影響を受けて洋風画を描いた司馬江漢、洋風の銅版画家の亜欧堂田善、奇想の絵師といわれる伊藤若冲(じゃくちゅう)なども。

4、芸能、歌舞伎

歌舞伎は、「江戸三座」といわれる中村座、市村座、森田座を中心にして隆盛に。
歌舞伎作者の鶴屋南北は、奥さんが歌舞伎役者の娘だったので鶴屋南北の名跡を継いだ4代目で、5代いる鶴屋南北のなかでも4代目を特に「大南北(おおなんぼく)」と呼び、怪談物を得意とし、代表作は「東海道四谷怪談」で、毒殺した妻お岩の亡霊に復讐されて破滅する牢人民谷伊右衛門を描いたということ。

5-1、学問の分野

国学、蘭学、経世学など様々な分野で学者が輩出し、幕末の志士たちにも影響を与えました。

5-2、国学

国学というのは、日本の精神を明らかにするために「古事記」「万葉集」などの日本古典を研究する学問。普通の江戸時代の武士は、論語や四書五経が義務教育みたいなものなので、中国の歴史は知っていても日本の歴史の知識はあまりなかったのですね。

この時代は、「国学の四大人(大人は、国学の師の尊称)」といわれた、京都の神官で日本書紀や万葉集の研究をした荷田春満(かだのあずままろ)、遠江国の神官で万葉集の研究をした賀茂真淵(かものまぶち)、伊勢松阪の医者でもののあはれ、やまとごころ論を展開し「古事記伝」をあらわした本居宣長(もとおりのりなが)、秋田藩士(のち松山藩士)で復古神道を大成した平田篤胤(ひらたあつたね)の学系を中心に発展。

また、頼山陽(らいさんよう)は源平の時代から徳川氏に至るまでの歴史書「日本外史」を著し、これらの国学思想は幕末の尊王攘夷運動に多大な影響を与えることに。

5-3、蘭学

8代将軍吉宗が、キリスト教関係以外の蘭書を解禁したのちにブームとなり、蘭癖大名や豪商などが現れ、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎の鳴滝塾で医学を教えたなど、オランダ書から医学、天文学など様々な情報が入ってくるように。


しかしシーボルト事件で幕府の天文学者高橋景保らが巻き添えを食い、天保の改革の頃、蛮社の獄でシーボルトの弟子だった高野長英らが投獄されるなど、弾圧事件も起こったということ。

5-4、経世学

経世学は、儒教思想に基づいて、現実の政治、社会、経済問題を直視して解決策を考案する学問のことで、世を治め民を救う、経世済民という概念を提唱したもの。

「稽古談」「洪範談」「前識談」などをあらわした海保青陵、「経世秘策」「西域物語」などで重商主義的政策を主張した本多利明、「復古法概言」などをあらわした佐藤信淵(のぶひろ)など。

5-5、その他の学問

盲目の学者塙保己一(はなわほきいち)は、幕府の援助を得て和学講談所の温故堂を設立。また、古記録、古書を収集、校訂して、一大古典籍叢書「群書類従」を編纂、伊能忠敬は17年かかって日本全国を測量し、非常に正確な「大日本沿海輿地全図」を完成など。

江戸時代末期に花開いた庶民文化

化政文化は大御所で56人も子供を作り、ぜいたくな暮らしをした11代家斉の時代の文化で、上方が中心で派手だった元禄文化と違い、生活に余裕が出来た江戸から地方までの庶民の娯楽が中心になったもので、浮世絵などの美術から、庶民的な小説、歌舞伎や寄席などが大人気になり、学問の分野も国学、蘭学などの学者が輩出して発展。

しかし退廃的な時代で幕府は財政難に陥ったため、水野忠邦の天保の改革で倹約財政の引き締めのために弾圧され衰退。その後、化政文化で花開いた浮世絵は、幕末にヨーロッパの万国博で紹介されて絶賛大流行、なんとジャポニズムとしてゴッホやモネらに大変な影響を与えたし、国学や蘭学は幕末の尊王攘夷運動、藩政改革などに影響を与えたなど、後々への影響は無視できないほどのものに。

江戸時代は文化が発展し花開いた後は改革で倹約して引き締めたかとおもえば、また文化と改革というパターンできましたが、世界史に例のないほどの200年以上の鎖国と平和な時代を満喫した化政文化は、現在に至る庶民のための大衆文化の先駆けといえるのでは。

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