日本史歴史飛鳥時代

飛鳥時代に天皇を凌ぐ権力を持った「蘇我蝦夷」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

乙巳の変

中大兄皇子は舒明天皇と皇極天皇の子供であり、本来なら次期天皇候補となる人物です。ただ、舒明天皇には母親が異なる皇子が存在しており、その皇子が古人大兄皇子でした。古人大兄皇子は蘇我氏が次期天皇に推薦している人物で、つまり蘇我氏は中大兄皇子にとっても次期天皇の座を妨げる存在だったのです。

また、中大兄皇子も天皇中心の律令国家を理想としていたため、同じ理想を持つ中臣鎌足とはすぐに意気投合しました。蘇我氏打倒のクーデターを計画した中大兄皇子と中臣鎌足、その計画は645年に決行されます。その日、朝鮮から訪れた使節に接見するため、天皇をはじめとする有力な豪族が大極殿に集まっていました。

大臣である蘇我入鹿もそこにいたため、中大兄皇子と中臣鎌足はその場であっさりと蘇我入鹿を討ち取ります。これが645年、乙巳の変でした。こうなると蘇我氏の反撃に警戒する必要がありますが、蘇我氏に不満を持つ多くの豪族が既に中大兄皇子と中臣鎌足の味方となっていたのです。

大化の改新

もちろん蘇我氏につこうとした豪族もいましたが、説得の末に味方に取り込むことに成功。これまで好き放題に振る舞ってきた蘇我氏は乙巳の変にて完全孤立という代償を生み、蘇我入鹿を殺害され、豪族も離れた蘇我蝦夷はさすがに自身の最期を悟ったようです。

そのため蘇我蝦夷は自ら邸に火を放って自害、蘇我氏に推薦されていた古人大兄皇子も吉野まで逃げていきますが、謀反の疑いをかけられると中大兄皇子によって殺害されました。こうして蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿の3代に渡って行われた独裁政治は終わり、蘇我氏は滅亡したのです

以後、日本は天皇中心の律令国家の基盤を整えていきます。皇極天皇にかわってその弟が孝徳天皇として即位、都も飛鳥から難波へと移され、中大兄皇子は皇太子として、中臣鎌足は内臣(天皇の補佐役)として政治を進めていきました。この政治改革こそ大化の改新と呼ばれるものです。

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乙巳の変によって蘇我入鹿は殺害され、蘇我蝦夷も自害して蘇我氏は滅亡した。その後は天皇中心の律令国家に向けた基盤が整えられていき、乙巳の変から始まった一連の政治改革を大化の改新と呼ぶ。

推古天皇即位~乙巳の変まで覚えれば万全!

蘇我蝦夷を覚えるには、蝦夷個人でなく蘇我氏の歴史を辿った方が良いでしょう。蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿……時期としては推古天皇の即位から乙巳の変までの期間を覚えれば、必然的に蘇我蝦夷の知識は充分身についているはずです。

また、乙巳の変においては大化の改新との区別が紛らわしいため注意してください。乙巳の変は645年に起こったクーデター、大化の改新は乙巳の変から始まる一連の政治改革全てを指すものです。

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shintomoyui0311