日本史歴史飛鳥時代

飛鳥時代に天皇を凌ぐ権力を持った「蘇我蝦夷」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日は蘇我蝦夷(そがのえみし)について勉強していくぞ。飛鳥時代、天皇以上の権力を手にして政治を独占していた蘇我氏、そこで挙がる名前は蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿の3人だ。

最後はクーデターによって滅亡した蘇我氏は、飛鳥時代にどのような歴史を刻んできたのだろうか。今回は蘇我蝦夷を中心に蘇我氏の歴史について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から蘇我蝦夷をわかりやすくまとめた。

推古天皇の時代

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推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の共同政治

「天皇=男性」と言うのはイメージでしかなく、日本の歴史の中では女性の天皇も存在しています。そして、歴代天皇の中で最初の女性天皇とされているのが推古天皇。推古天皇誕生の発端となったのは592年のことで、当時天皇だった崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺された事件です。

暗殺とは言え天皇が死去したため次期天皇を選ぶことになり、そこで候補として挙がった人物は4人でした。この時、蘇我馬子は候補の中でも推古天皇の即位を望みます。これは推古天皇の能力が理由ではなく、推古天皇が蘇我の血を引いていたのが理由でした

要するに、同じ蘇我の血を引く人物が天皇になった方が蘇我氏にとって有益だと考えたのです。このようにして初の女性天皇となる推古天皇が誕生、そして推古天皇を補佐したのが聖徳太子と蘇我馬子であり、推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の3人が共同する形で政治を行っていきました。

蘇我蝦夷の登場

蘇我馬子は権力をさらに高めたい気持ちから、天皇中心の政治体制が強まることを危惧。一方、推古天皇も権力を持つ蘇我馬子を巧みに利用。大きな対立が起こることなく政治が進められていきましたが、622年の聖徳太子の死をきっかけに3人が立て続けに死去します

622年に聖徳太子が死去、627年に蘇我馬子が死去、628年に推古天皇が死去……ここで問題だったのが、推古天皇が生前に次期天皇を指名しておかなかったことでした。そうなると当然起こってしまうのが次期天皇問題、そして蘇我馬子の子である蘇我蝦夷がここから表舞台に立ってきます。

蘇我蝦夷は父・蘇我馬子が死去した時点で大臣の座を引き継いでいたため、既に政治の実権を握るほどの権力を手にしていました。そんな蘇我蝦夷は次期天皇問題で叔父の境部摩理勢(さかいべのまりせ)と対立、2人が次期天皇として推薦したのはそれぞれ別の人物だったのです。

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蘇我蝦夷が絶大な権力を持っていたことは知っているだろうが、それは父である蘇我馬子の影響だと分かる。蘇我馬子の死後、蘇我蝦夷は父を引き継いで大臣となったため、その時点で既に政権を握るほどの権力を手にしていたわけだ。

蘇我蝦夷の独裁体制

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