
漢文、誰が読む?
不明 – http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w012&SubID=s000, パブリック・ドメイン, リンクによる
当時の日本人が話していたのは大和言葉、日本語ですね。ただ、この時代にひらがなやカタカナはまだありません。なので、『古事記』は一見すると漢文に見えるけれど、中国の人はさっぱり読めない「変体漢文」で書かれました。そのなかには112首にのぼる和歌が織り交ぜられ、エンターテイメント性に富んだ美しい「物語」として紡がれています。
ということは、『古事記』の読者は日本人ですね。
しかし、『日本書紀』は漢文で書かれています。これなら中国の人にも読めますね。しかも、こちらは『古事記』と違い、起こった出来事を年代順にして記録する「編年体」で書かれています。ドラマチックに書かれた『古事記』と比べるとかなりあっさりした印象ですね。物語よりも、記録の役割が大きいのです。
では、なぜ『日本書紀』は漢文で書かれたのでしょうか?内容は『古事記』とあまりかわらないのに、どうして『日本書紀』をつくる必要があったのでしょう。
アジア世界の中心「唐」
当時、アジアの中心には「唐」という大帝国がありました。唐は政治や文化など周辺諸国に多大な影響を与え、また、朝貢の関係を結んでいます。日本も遣唐使を派遣して友好関係を結んでいましたね。
唐の言葉はアジア圏の共通言語でした。今で言う英語みたいな感覚です。その共通言語の漢文で書かれた『日本書紀』は、海外、特に唐を意識して書かれたことがわかります。
これには、当時の大国だった唐に対して「日本も歴史ある立派な国だ」と主張する目的がありました。日本神話に続き、歴代天皇の業績を編年体で書くことで、唐と肩を並べられるくらい日本は歴史的、文化的レベルの高い国だ、と押していって属国にされないようにしたのです。
『古事記』とは役割がまた違いますね。
日本の正史、六国史
『日本書紀』は「日本に伝存する最古の正史」とされています。『古事記』のほうは「日本最古の歴史書」と、ちょっと違いますね。
また、『日本書紀』をシリーズの第一として、六つの史書ができました。そのシリーズを「六国史」といって、順番に『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』と続きます。
役割の違いは大きい
『古事記』はエンターテイメント性に富んだ物語で、日本人向けに書かれたものでした。対して『日本書紀』は漢文で、海外向けに書かれます。当時の海外とのパワーバランスを織り込んだ結果ですね。
また、日本に伝存する最古の正史であり、『日本書紀』を皮切りにしてその後も「六国史」シリーズがつくられました。