

今回は『古事記』について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。古代日本をテーマにすると必ず手に取ることになるのが『古事記』『日本書紀』。今回は『古事記』についてより深く勉強してまとめた。
1.『古事記』がつくられたわけ
『古事記』と『日本書紀』のふたつを総称して「記紀」といいました。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を合わせたものですね。「記」と「紀」の書き間違いはよく起こることなので、注意して覚えましょう。
両書ともに日本神話の世界「神代」から始まり、『古事記』は推古天皇(第33代天皇)まで、『日本書紀』は持統天皇(第41代天皇)の時代までを記録した重要な歴史書です。
今回はまずは「記紀」がつくられることとなった出来事からお話していきましょう。
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朝廷の実権を握った蘇我氏
飛鳥時代の豪族「蘇我氏」が朝廷を牛耳っていたころのこと。朝廷の有力者だった聖徳太子(厩戸皇子)が亡くなり、また、推古天皇は後嗣を指名することなく崩御してしまいました。
推古天皇の次代の天皇候補のひとりは、聖徳太子の息子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)です。もともと聖徳太子と蘇我氏自体が血縁関係にありましたから、蘇我氏はもちろん山背大兄王を天皇に推すと思いますよね?ところが、蘇我氏の長・蘇我蝦夷(そがのえみし)は山背大兄王ではなく、血縁関係のない田村皇子(後の舒明天皇)を即位させました。
その後、蘇我氏の実権を受け継いだ蘇我入鹿(そがのいるか)は、自分の意のままになりそうな、いとこの古人大兄皇子を次の天皇に擁立しようと考えます。
いとこといえば、実は山背大兄王もまた蘇我入鹿のいとこにあたりました。「なんでそっちのいとこは天皇に推薦されるのに、同じいとこで聖徳太子の息子の自分は推薦してもらえないのか!」と当然、山背大兄王は納得いきませんよね。これによって両者の対立は決定的となりました。
そうして、ついに蘇我入鹿が斑鳩宮にいる山背大兄王を襲撃して自害に追い込み、聖徳太子の血を引く一族を滅ぼしたのでした。
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「乙巳の変」と燃える蘇我邸
Gukei Sumiyoshi – Scroll painting from the Edo period., パブリック・ドメイン, リンクによる
山背大兄王を滅ぼし、ますます専横を極めることとなった蘇我氏。しかし、その横暴も長くは続きませんでした。蘇我入鹿のあまりの振る舞いに対し、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)といった面々が立ち上がったのです。
そして、中大兄皇子らは蘇我入鹿を宮中に呼び出し、暗殺してしまいました。このクーデターを「乙巳の変」といいます。
蘇我入鹿の暗殺を知った蘇我蝦夷は、取り囲まれた自宅に自ら火を放って自殺をはかりました。このとき、『天皇記』や『国記』などの多くの歴史書が収められていた書庫も焼けてしまいます。『国記』は焼ける前に救い出されたともされていますが、『天皇記』も『国記』も現存しないため真偽はわからないままです。
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