日本史歴史縄文時代

「記紀」に残る初代天皇「神武天皇」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

熊野にあらわれた大刀と八咫烏

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五瀬命の死後、神武天皇は南下して紀伊半島の熊野へとたどり着いたときのことです。とても大きな熊がちらっと姿を現したかと思うと、神武天皇の一行はたちまち大熊の毒気にあてられて気を失ってしまいました。

このとき、高天原の天照大御神と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の二柱が、建御雷(たけみかづち)を呼んで、過去に建御雷が豊芦原中国の平定に使った大刀を地上に降ろします。神武天皇が大刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒され、倒れた兵士たちも目を覚ましたのです。この大刀は「布都御魂(ふつのみたま)」と呼ばれ、現在は奈良県天理市の石上神宮にご神体として祀られています。

また、神々は熊野の深い山の道案内として三本足の「八咫烏(やたがらす)」をつかわしました。八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークやマスコットにもなっていますから、見覚えのある人も多いと思います。こちらは天武天皇が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなんだそうですよ。

近畿の平定、即位へ

神武天皇はさらに紀伊(和歌山県)と伊勢(三重県)へ進み、そして、最後に兄・五瀬命の仇の登美能那賀須泥毘古との決戦にいたります。

すると、決戦の場にあらわれた登美能那賀須泥毘古が奉じる邇藝速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇を天照大御神の子孫と認めて、登美能那賀須泥毘古に降参するよう促しました。しかし、登美能那賀須泥毘古はそれに従わず邇藝速日命に誅殺されます。

その後も荒ぶる神々や、神武天皇に従わない豪族を服従させていきました。

近畿の平定が終わると、神武天皇は畝傍山のほとりを都と宣言し、辛酉年一月一日に橿原宮で初代天皇として即位したのです。

即位76年、127歳で神武天皇は崩御したとされるのですが……、寿命がずいぶんと長いのは神様の代からそう離れていないからでしょうか?

神話から人の世界への区切り

神話の時代を「神代」といい、日本では神武天皇が即位するまでの時代を指します。いわば、神武天皇は神様の時代から人間の時代への区切りとなったわけですね。

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