
3.神武天皇の東征神話
Ginko Adachi (active 1874-1897) – Stories from “Nihon Shoki” (Chronicles of Japan), artelino – Japanese Prints – Archive 29th May 2009, パブリック・ドメイン, リンクによる
皇紀元年となる神武天皇の即位。けれど、神武天皇はどのようにして初代の天皇となったのでしょうか?
紀元前660年、日本は縄文時代末~弥生時代早期
『日本書紀』によると、紀元前660年に神武天皇が即位したとあります。そのころの日本は縄文時代末期から弥生時代早期あたり。時代区分があいまいなのは、当時の正確な歴史書がないので仕方ないことですね。
神武天皇の生い立ち
神武天皇は最初から「神武天皇」と名乗っていたわけではありません。『日本書紀』や『古事記』によって揺れはありますが、諱(本名)を「彦火火出見(ひこほほでみ)」、また諡号を「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)」といいました。
前述の通り、神武天皇は天照大御神の五世孫であり、瓊瓊杵尊の曾孫にあたります。瓊瓊杵尊の孫・鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と、海の神綿津見神の娘・玉依姫(たまよりひめ)の第四子として、日向国(宮崎県)に誕生しました。
45歳で東征開始
神武天皇は45歳まで日向国で過ごしていましたが、45歳の時に自分の兄や子どもたちを集めて東征、つまり、軍勢を引き連れて東の地へ征服を開始します。これが神武天皇の東征神話です。
『古事記』によると、東征は高千穂の宮から始まりました。神武天皇は兄の五瀬命(いつせのみこと)とともに「豊葦原中国(日本)を治めるのにはどこにいるのが最適だろうか」と相談して、最初に筑紫(福岡県)へ出発します。そこで一年逗留したあと、今度は海路で安芸国(広島県)で七年、吉備国(岡山県)に八年逗留しました。
国津神を従える

吉備国を出発したとき、亀の背に乗って釣りをしている人がいました。その釣り人は、己は国津神(土着の神)だと名乗り、船路をよく知っていると言います。神武天皇は槁を差し出して国津神を船に乗せ、槁根津日子(さおねつひこ、『古事記』)という名前を与えました。
槁根津日子は神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、多くの献策をした功労者として、「倭国造(やまとのくにのみやつこ)」に任命されます。「国造」は古代日本で地方を治める官職の一種。「倭国造」は、大和国中央部(現在の奈良県天理市周辺)を支配した国造ですね。
兄・五瀬命の死
槁根津日子の先導で浪速国の白肩津についたとき、大和の登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の軍勢に襲われてしまいました。この戦いで兄の五瀬命の手に矢がささり、それが元で五瀬命は亡くなってしまいます。