令和天皇は第126代目の天皇にあたるのは知っているか?初代から数えて三桁になるなんてすごいよな。これは世界的に見てもかなり長く続く王室(皇室)です。その初代となった「神武天皇」は日本神話の神、イザナミノミコトとイザナギノミコトの子孫とされている。なんとも不思議なもんです。

今回はその「神武天皇」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。前回のテーマ「ヤマト朝廷」から派生した「神武天皇」に興味を持ち、勉強してまとめた。

1.日本神話の系譜から生まれた「神武天皇」

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現代まで脈々と受け継がれてきた「日本神話」。主祭神か配神を「伊弉諾命(イザナギノミコト)」や「伊弉冉命(イザナミノミコト)」としている神社に行ったことはありませんか?

イザナギノミコトは、夫婦円満、子孫繁栄、長寿繁栄、厄除けの御利益があるとされており、また、イザナミノミコトには夫婦円満、延命長寿、縁結び、安産、子宝、家内安全などの御利益があるとされています。二柱ともご利益の幅が広いですね。

そのイザナギノミコトとイザナミノミコトの子孫とされているのが、日本の天皇家。そして、初代の天皇となったのが「神武天皇」でした。

今章では、「神武天皇」のルーツされる日本神話について軽く触れていきます。

※神様の数え方

神様は人間ではありませんから、「一人、二人」とは数えず、「一柱、二柱」と「柱」や、「一座、二座」と「座」を使って数えるのが基本となります。

日本列島の誕生「国産み」

奈良時代に成立した『古事記』と『日本書紀』は、日本の歴史書ですが、両書はともに「世界がどのようにしてうまれたのか」というところからはじまります。どちらも要約すると「最初はなにもかもがまざりあっていて、かたちはなかった」とはじまり、そこから天地がわかれて神があらわれました。

天上の高天原には、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、そして神産巣日神(かみむすひのかみ)がうまれます。天之御中主神は世界の中心にいる天の神で、高御産巣日神と神産巣日神は「創造」を神格化した神です。その三柱に続いて、さらに宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)がうまれ、計五柱の神々が誕生しました。しかし、五柱の神々に性別はなく、独身のまま子孫を残すことなく隠れてしまいます。そこからまた別の神々が現れたあと、最後に生まれたのがイザナギノミコトとイザナミノミコトという夫婦の神です。

イザナギノミコトとイザナミノミコトは、天の神々に「天の沼矛」を与えられ、それで形の定まらない海原をかきまわすと、オノゴロ島ができました。二柱はオノゴロ島で淡道之穂之狭別島(淡路島)を生み、それから「大八島」と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していったのです。地上世界は神々が住む高天原と死者の世界「黄泉の国」の間にあるとされ、「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」と呼ばれました。

このお話を「国産み」といいます。

「神産み」の最後に

「国産み」の次は「神産み」が始まりました。

日本列島がうまれたあと、イザナギノミコトとイザナミノミコトはさまざまな神様を生みます。そして、最後に生まれたのが火の神「火之加具土命(ひのかぐつち)」でした。イザナミノミコトはカグツチを生んだときに大火傷を負って、それがもとで亡くなってしまいます。怒ったイザナギノミコトは火之加具土命を殺し、死んだ火之加具土命の血や体から別の神々が生まれました。

それから、イザナギノミコトはイザナミノミコトに会うために日本神話における死者の世界「黄泉の国」へと赴きます。そこで待ちに待ったイザナミノミコトとの対面。けれど、黄泉の国の食べ物を食べて醜く変わり果てた姿となったイザナミノミコトに、イザナギノミコトは逃げ帰ってしまうのでした。

黄泉の国から戻ったイザナギノミコトはケガレを清めるために禊を行います。このときにイザナギノミコトの服や黄泉の国のケガレからまた神々が生まれました。そうして、イザナギノミコトが左目を洗うと天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれたのです。

イザナギノミコトはこの最後の神々を「三貴神(さんきしん)」として、天照大御神に高天原を、月読命に夜を、建速須佐之男命には海を託しました。

皇祖神・天照大御神

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不明 - http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w012&SubID=s000, パブリック・ドメイン, リンクによる

『古事記』と『日本書紀』のふたつを総称して「記紀」といいました。その「記紀」によると天照大御神は太陽の女神とされ、また、日本の皇室の祖とされます。というのも、天照大御神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が、豊葦原中国(日本)を治めるために天照大御神から三種の神器を授かって九州の高千穂峰に降り(天孫降臨)、そこで子どもをつくりました。瓊瓊杵尊の曾孫にあたるのが、神武天皇なのです。

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すべての民族が持つ神話

以上が日本神話における天地創造の物語です。

世界がどのようにして生まれたのか、どのような経緯で王が生まれたのかを記した物語は、日本だけでなく世界中の民族が持っていますよね。

ギリシャ神話にインド神話、各地に残る伝説は、その土地がどのようなところで、そこで生きる人々がどのようにして生まれたのか、そして、どうしてその土地で暮らす権利があるのかを説明し、証明するものなのです。

2.日本の紀年法

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「西暦」が日本で使われはじめたのはいつ?

現在使われている「西暦」はイエス・キリストが誕生したとされる年を元年としていますね。そして、その年より前を「紀元前」、その年よりあとを「紀元後」といい、「BC(Before Chirist)」や「AD(Anno Domini)」なとど何気なく省略されて使われているのを日本史や世界史の教科書や授業で見た人も多いと思います。

「西暦」が日本で使われるようになったのは明治時代。明治維新後に政府は西洋文化を倣う過程で採用されたのです。

では、「西暦」が採用される前の日本の暦はどのように数えられていたのでしょうか?

明治以前の日本では、実は「西暦」のように、ある年を基準にして年数を数える「紀年法」というものはありませんでした。その代わりに、「元号」や「干支」を使っていたのです。

日本の紀年法「皇紀」

神武天皇は畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)を都とし、そこで即位したとされています。『日本書紀』によると、それは「辛酉の年の一月一日」のこと。「西暦」に照らし合わせると紀元前660年の2月11。これに基づいて、現代では2月11日を「建国記念日」としているのです。

また、「西暦」を採用した際に、明治政府は神武天皇の即位日を紀元とする「皇紀」を制定します。しかし、戦後になると「皇紀」はほとんど使われなくなり、日本政府の公文書でも見かけなくなりました。

余談ですが、今年(2020年)を「皇紀」に置き換えると2680年となります。

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3.神武天皇の東征神話

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Ginko Adachi (active 1874-1897) - Stories from "Nihon Shoki" (Chronicles of Japan), artelino - Japanese Prints - Archive 29th May 2009, パブリック・ドメイン, リンクによる

皇紀元年となる神武天皇の即位。けれど、神武天皇はどのようにして初代の天皇となったのでしょうか?

紀元前660年、日本は縄文時代末~弥生時代早期

『日本書紀』によると、紀元前660年に神武天皇が即位したとあります。そのころの日本は縄文時代末期から弥生時代早期あたり。時代区分があいまいなのは、当時の正確な歴史書がないので仕方ないことですね。

神武天皇の生い立ち

神武天皇は最初から「神武天皇」と名乗っていたわけではありません。『日本書紀』や『古事記』によって揺れはありますが、諱(本名)を「彦火火出見(ひこほほでみ)」、また諡号を「神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと)」といいました。

前述の通り、神武天皇は天照大御神の五世孫であり、瓊瓊杵尊の曾孫にあたります。瓊瓊杵尊の孫・鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と、海の神綿津見神の娘・玉依姫(たまよりひめ)の第四子として、日向国(宮崎県)に誕生しました。

45歳で東征開始

神武天皇は45歳まで日向国で過ごしていましたが、45歳の時に自分の兄や子どもたちを集めて東征、つまり、軍勢を引き連れて東の地へ征服を開始します。これが神武天皇の東征神話です。

『古事記』によると、東征は高千穂の宮から始まりました。神武天皇は兄の五瀬命(いつせのみこと)とともに「豊葦原中国(日本)を治めるのにはどこにいるのが最適だろうか」と相談して、最初に筑紫(福岡県)へ出発します。そこで一年逗留したあと、今度は海路で安芸国(広島県)で七年、吉備国(岡山県)に八年逗留しました。

国津神を従える

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吉備国を出発したとき、亀の背に乗って釣りをしている人がいました。その釣り人は、己は国津神(土着の神)だと名乗り、船路をよく知っていると言います。神武天皇は槁を差し出して国津神を船に乗せ、槁根津日子(さおねつひこ、『古事記』)という名前を与えました。

槁根津日子は神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、多くの献策をした功労者として、「倭国造(やまとのくにのみやつこ)」に任命されます。「国造」は古代日本で地方を治める官職の一種。「倭国造」は、大和国中央部(現在の奈良県天理市周辺)を支配した国造ですね。

兄・五瀬命の死

槁根津日子の先導で浪速国の白肩津についたとき、大和の登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の軍勢に襲われてしまいました。この戦いで兄の五瀬命の手に矢がささり、それが元で五瀬命は亡くなってしまいます。

\次のページで「熊野にあらわれた大刀と八咫烏」を解説!/

熊野にあらわれた大刀と八咫烏

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五瀬命の死後、神武天皇は南下して紀伊半島の熊野へとたどり着いたときのことです。とても大きな熊がちらっと姿を現したかと思うと、神武天皇の一行はたちまち大熊の毒気にあてられて気を失ってしまいました。

このとき、高天原の天照大御神と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の二柱が、建御雷(たけみかづち)を呼んで、過去に建御雷が豊芦原中国の平定に使った大刀を地上に降ろします。神武天皇が大刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は自然に切り倒され、倒れた兵士たちも目を覚ましたのです。この大刀は「布都御魂(ふつのみたま)」と呼ばれ、現在は奈良県天理市の石上神宮にご神体として祀られています。

また、神々は熊野の深い山の道案内として三本足の「八咫烏(やたがらす)」をつかわしました。八咫烏は日本サッカー協会のシンボルマークやマスコットにもなっていますから、見覚えのある人も多いと思います。こちらは天武天皇が熊野に通って蹴鞠をよくしたことにちなんだそうですよ。

近畿の平定、即位へ

神武天皇はさらに紀伊(和歌山県)と伊勢(三重県)へ進み、そして、最後に兄・五瀬命の仇の登美能那賀須泥毘古との決戦にいたります。

すると、決戦の場にあらわれた登美能那賀須泥毘古が奉じる邇藝速日命(にぎはやひのみこと)が神武天皇を天照大御神の子孫と認めて、登美能那賀須泥毘古に降参するよう促しました。しかし、登美能那賀須泥毘古はそれに従わず邇藝速日命に誅殺されます。

その後も荒ぶる神々や、神武天皇に従わない豪族を服従させていきました。

近畿の平定が終わると、神武天皇は畝傍山のほとりを都と宣言し、辛酉年一月一日に橿原宮で初代天皇として即位したのです。

即位76年、127歳で神武天皇は崩御したとされるのですが……、寿命がずいぶんと長いのは神様の代からそう離れていないからでしょうか?

神話から人の世界への区切り

神話の時代を「神代」といい、日本では神武天皇が即位するまでの時代を指します。いわば、神武天皇は神様の時代から人間の時代への区切りとなったわけですね。

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日本史歴史縄文時代

「記紀」に残る初代天皇「神武天皇」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

令和天皇は第126代目の天皇にあたるのは知っているか?初代から数えて三桁になるなんてすごいよな。これは世界的に見てもかなり長く続く王室(皇室)です。その初代となった「神武天皇」は日本神話の神、イザナミノミコトとイザナギノミコトの子孫とされている。なんとも不思議なもんです。

今回はその「神武天皇」について歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。前回のテーマ「ヤマト朝廷」から派生した「神武天皇」に興味を持ち、勉強してまとめた。

1.日本神話の系譜から生まれた「神武天皇」

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現代まで脈々と受け継がれてきた「日本神話」。主祭神か配神を「伊弉諾命(イザナギノミコト)」や「伊弉冉命(イザナミノミコト)」としている神社に行ったことはありませんか?

イザナギノミコトは、夫婦円満、子孫繁栄、長寿繁栄、厄除けの御利益があるとされており、また、イザナミノミコトには夫婦円満、延命長寿、縁結び、安産、子宝、家内安全などの御利益があるとされています。二柱ともご利益の幅が広いですね。

そのイザナギノミコトとイザナミノミコトの子孫とされているのが、日本の天皇家。そして、初代の天皇となったのが「神武天皇」でした。

今章では、「神武天皇」のルーツされる日本神話について軽く触れていきます。

※神様の数え方

神様は人間ではありませんから、「一人、二人」とは数えず、「一柱、二柱」と「柱」や、「一座、二座」と「座」を使って数えるのが基本となります。

日本列島の誕生「国産み」

奈良時代に成立した『古事記』と『日本書紀』は、日本の歴史書ですが、両書はともに「世界がどのようにしてうまれたのか」というところからはじまります。どちらも要約すると「最初はなにもかもがまざりあっていて、かたちはなかった」とはじまり、そこから天地がわかれて神があらわれました。

天上の高天原には、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、そして神産巣日神(かみむすひのかみ)がうまれます。天之御中主神は世界の中心にいる天の神で、高御産巣日神と神産巣日神は「創造」を神格化した神です。その三柱に続いて、さらに宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)がうまれ、計五柱の神々が誕生しました。しかし、五柱の神々に性別はなく、独身のまま子孫を残すことなく隠れてしまいます。そこからまた別の神々が現れたあと、最後に生まれたのがイザナギノミコトとイザナミノミコトという夫婦の神です。

イザナギノミコトとイザナミノミコトは、天の神々に「天の沼矛」を与えられ、それで形の定まらない海原をかきまわすと、オノゴロ島ができました。二柱はオノゴロ島で淡道之穂之狭別島(淡路島)を生み、それから「大八島」と呼ばれる島々(日本列島)を次々と生み出していったのです。地上世界は神々が住む高天原と死者の世界「黄泉の国」の間にあるとされ、「豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)」と呼ばれました。

このお話を「国産み」といいます。

「神産み」の最後に

「国産み」の次は「神産み」が始まりました。

日本列島がうまれたあと、イザナギノミコトとイザナミノミコトはさまざまな神様を生みます。そして、最後に生まれたのが火の神「火之加具土命(ひのかぐつち)」でした。イザナミノミコトはカグツチを生んだときに大火傷を負って、それがもとで亡くなってしまいます。怒ったイザナギノミコトは火之加具土命を殺し、死んだ火之加具土命の血や体から別の神々が生まれました。

それから、イザナギノミコトはイザナミノミコトに会うために日本神話における死者の世界「黄泉の国」へと赴きます。そこで待ちに待ったイザナミノミコトとの対面。けれど、黄泉の国の食べ物を食べて醜く変わり果てた姿となったイザナミノミコトに、イザナギノミコトは逃げ帰ってしまうのでした。

黄泉の国から戻ったイザナギノミコトはケガレを清めるために禊を行います。このときにイザナギノミコトの服や黄泉の国のケガレからまた神々が生まれました。そうして、イザナギノミコトが左目を洗うと天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗うと建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれたのです。

イザナギノミコトはこの最後の神々を「三貴神(さんきしん)」として、天照大御神に高天原を、月読命に夜を、建速須佐之男命には海を託しました。

皇祖神・天照大御神

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不明http://www.emuseum.jp/cgi/pkihon.cgi?SyoID=4&ID=w012&SubID=s000, パブリック・ドメイン, リンクによる

『古事記』と『日本書紀』のふたつを総称して「記紀」といいました。その「記紀」によると天照大御神は太陽の女神とされ、また、日本の皇室の祖とされます。というのも、天照大御神の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が、豊葦原中国(日本)を治めるために天照大御神から三種の神器を授かって九州の高千穂峰に降り(天孫降臨)、そこで子どもをつくりました。瓊瓊杵尊の曾孫にあたるのが、神武天皇なのです。

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