奈良時代日本史歴史

平城京から平安京へ。一大事業を成し遂げた「桓武天皇」を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

鳴くよウグイス平安京

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長岡京から、現在の京都市市街にあたる平安京へと遷都したのが794年。

「794年(鳴くよ)ウグイス平安京」の語呂合わせが有名ですね。ここが奈良時代と平安時代の区切りになります。また、江戸時代が終わるまでの千年以上もの間、平安京は日本の首都となりました。

ついでなので、奈良時代の語呂合わせもセットで覚えておきましょう。奈良時代は「710年(なんと)素敵な平城京」です。

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桓武天皇は寺院勢力が政治に干渉するのを嫌って、切り離すために平城京から遷都した。まさに物理的に政治と奈良仏教を引き離したわけだな。まあ、遷都も一筋縄ではいかず、「藤原種継暗殺事件」や「早良親王のたたり」から、せっかく建てた長岡京を捨てることになった。それからようやく平安京へ遷ったんだな。

2.桓武天皇の治世

「南都六宗」から「平安二宗」へ

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奈良の仏教は「三論宗」「成実宗」「法相宗」「倶舎宗」「華厳宗」「律宗」の六つを合わせた「南都六宗」、あるいは「奈良仏教」といいました。

その南都六宗の政治への干渉を物理的に切り離した桓武天皇。しかし、仏教をないがしろにしたいわけではありませんから、南都六宗に対抗できる新しい仏教が必要だったのです。

そこで朝廷は僧侶を「唐」へ派遣して新たな宗派を日本に持ち帰らせたのでした。そうして、「最澄」が比叡山(滋賀県と京都府)に延暦寺を建てて「天台宗」を、「空海」が高野山(和歌山県)に金剛峯寺を建てて「真言宗」を開きました。最澄はのちに「伝教大師」、空海は「弘法大師」として広く知られます。特に弘法大師は「弘法も筆の誤り(名人でも失敗することはある)」とことわざにもなっていますね。

「天台宗」と「真言宗」

「天台宗」と「真言宗」はともに「密教」と呼ばれるもので、山にこもって修行することで悟りを目指すというスタイルです。

奈良の南都六宗に対して、平安時代に隆興した「天台宗」と「真言宗」を「平安二宗」といいました。桓武天皇の二代先の嵯峨天皇の時代には、真言宗の修法を行う「真言院」が奈良の東大寺、そして宮中にに建てられ、さらに京都の東寺を真言密教の道場として「教王護国寺」と改められます。

鎮護国家の中心だった東大寺と、まさに国の中心の宮中に真言院が設立されたということは、つまり、朝廷は密教を新たに鎮護国家の仏法とした証なのです。

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