
それじゃあ百年戦争の詳細やその後の2国はどうなったのかをヨーロッパ史に詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していきます。
- 1 百年戦争の背景には何があったのか?
- 1-1 百年戦争のきっかけはエドワード3世の王位継承要求
- 1-2 両者の思惑
- 2 百年戦争へ
- 2-1 クレシーの戦い
- 2-2 ポワティエの戦い
- 2-3 ヨーロッパを襲った黒死病
- 2-4 ジャックリーの乱
- 2-5 イギリスではワット・タイラーの乱
- 2-6 トロワ条約
- 2-7 ジャンヌ・ダルクの出現
- 2-8 フランスの勝利
- 3 百年戦争後のフランスとイギリス
- 3-1 フランスは王権を強化
- 3-2 イギリスは内乱へ
- 3-3 薔薇戦争の由来
- 3-4 ドラローシュより「エドワード5世とリチャード兄弟」
- 3-5 テューダー朝が始まることに
- 百年戦争はイギリスとフランス王家同士の争い
この記事の目次

ライター/まぁこ
ヨーロッパ史好きのアラサー歴女。特にハプスブルク家やヴァロワ家など各国の王家に関する書籍を愛読している。今回は14世紀に起こった百年戦争について解説していく。
1 百年戦争の背景には何があったのか?

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百年戦争とは1339年に起こったイギリスとフランスの戦争。しかし正確にこの百年戦争をみれば、イギリス(イングランド)の王家とフランスの王家が争い、両王家の対立に各国の諸侯らが参戦した戦いのこと。つまり国家同士の戦争ではなく、あくまでも王家同士の争いという位置付けです。ここでは分かりやすくするため、あえてイギリスとフランスと表記して両者の戦争の経緯を見ていきましょう。
1-1 百年戦争のきっかけはエドワード3世の王位継承要求
フランスでは10世紀後半から1328年までをカペー朝が治めていました。しかしカペー朝の最後の君主、シャルル4世が死去したことで、彼のいとこであるフィリップ6世が即位。
しかしこのフィリップ6世がヴァロワ朝を興すと、それに異議を唱える声が。イギリスのプランタジネット朝のエドワード3世です。彼の母がカペー朝出身だったため、フランスの王位継承権を主張することに。一度はフィリップ6世の即位を認めましたが、それを取り消します。更に1339年にフランスに侵入したことで戦争が始まりました。
1-2 両者の思惑
百年戦争が起こったきっかけはエドワード3世がフランスの王位継承権を主張してフランスに対して戦争を仕掛けたこと。しかしこの戦争の背景には2つの領地を巡る対立がありました。
イギリスはフランスのギエンヌ地方を領有しており、この地はワインの生産地として有名。ところがこの地をフランス王が支配しようとしたため両者が対立することに。他にもフランドルを巡って両者は対立。イギリスは豊かなフランドルに羊毛を輸出して利益を上げていたため、フランスがフランドルを直接支配下に治めることを阻止したい考えがあったのです。
2 百年戦争へ
こうして始まった百年戦争はどのような経緯で進んでいったのでしょうか。それでは見ていきましょう。
2-1 クレシーの戦い
ジャン・フロワサール – From Chapter CXXIX of Jean Froissart’s Chronicles, example source at http://www.maisonstclaire.org/resources/chronicles/froissart/book_1/ch_126-150/fc_b1_chap129.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
百年戦争はフランスのジャンヌ・ダルクが現れるまでイギリスの優勢が続きました。1346年にはクレシーの戦いが起こることに。これはイギリスのエドワード黒太子の活躍によって勝利を収めます。クレシーの戦いではイギリス側は長弓兵を駆使したことが勝因。この長弓兵は1分間に6回も矢を放つことができたそう。またイギリス側は初めて大砲を用いた戦術で戦争の歴史の中では画期的となることに。
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