「荘周之夢」:夢と現実があいまいなさま
「そうしゅうのゆめ」と読みます。荘周とは荘子の別称です。実は先に解説した「胡蝶之夢」の原文の中にも、荘子を表す部分に「荘周」と記されていました。荘子の見た夢のことをいっており、「胡蝶之夢」と同じ意味を持つ言葉です。
「邯鄲の枕」:人の栄枯盛衰がはかないこと
「かんたんのまくら」と読みます。中国の唐の小説「枕中記」(ちんちゅうき)から派生した故事成語です。
盧生(ろせい)という青年が、あるとき都である邯鄲(かんたん)に赴きます。そこで出会った道士に、盧生は自分の人生の不満を語りました。すると、道士は夢が叶うという枕を盧生に貸してくれます。盧生はさっそくそれを使って眠りました。夢の中で人生の苦楽を存分に味わい、ときには財や権力も手に入れ最後には穏やかに死を迎えるまでに至りました。しかし目を覚ますと、火にかけた粥がまだ煮え切ってすらいない短い時間に過ぎませんでした。
そこから「邯鄲の枕」は、人生の栄枯盛衰は夢に過ぎないという、はかなさを例える言葉となりました。
「胡蝶之夢」の英訳
「胡蝶之夢」の夢の英訳も見ておきましょう。
「The Butterfly Dream」
「胡蝶之夢」の英訳は「The Butterfly Dream」です。「胡蝶之夢」についての英語の文献を探したいときにも、このまま検索するとヒットします。
また言葉そのものではなく、人生のはかなさについて言い表したいときには「an evanescent life」(はかない人生)や「Life is but a span.」(人生はほんの短い時間に過ぎない)といった表現が使えるでしょう。さらにspanをdreamに換えると「Life is but a dream.」(人生は夢に過ぎない)という、アメリカの童謡の一節になります。子供のための童謡にも関わらず、奥が深いですね。
蝶であっても人であっても大切なのは今
この記事では「胡蝶之夢」の意味・使い方・類語などについて解説しました。人であっても蝶であっても、あるいはそれ以外の何であっても、自分という魂は変わりません。普通は肩書や目の前の出来事に一喜一憂しがちですが、大切なことはそういった点ではなく、あなたの魂がどうあるのか、ということです。少し複雑ですが、要するにどんなことであっても、あなたが思い描く姿に向かって行動していれば、いつの日か元からそうであったかのように変化する。荘子の言う物化とはそういったことなのではないか、と筆者は考えました。
そうした変化の過程を大したことではないと思えば、人生が「はかないもの」だと感じるかもしれません。しかし、結果がすべてなのではなく、今どのようにあろうとするか、が重要なのではないでしょうか。