端的に言えば大器晩成の意味は「偉人は晩年に大成する」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。
元国語塾講師で、漢文が得意なライターのトミー先生を呼んです。一緒に「大器晩成」の意味や例文、類語などを見ていきます。
ライター/トミー先生
元国語塾講師で、通信教育で英語と国語の「赤ペン先生」などもやっていた。実はドイツ語が得意で、外国語を学ぶことにより国語を理解するのに役立つと実感している。古代中国の老子の言葉「大器晩成」について、語源と意味と使い方を自分でしっかり理解できるよう、わかりやすく解説していく。
「大器晩成」の意味や語源・使い方まとめ
それでは早速「大器晩成」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。読み方は「たいきばんせい」ですが、「大器」はもともとは文字通り「大きな器」という意味だったのですよ。土をこねて土器を作るのに、その器が大きいとなかなか作ることができませんし、それを窯に入れて焼くのも大変ですね。ですから、「大きな器を作るのは大変だ」というのがもとの意味だったということなのですね。
ただ、言葉というものは、時代が移り変わるにつれて意味が変化したり、新しい意味が付け加わったりするので、「大器晩成」も人間に用いられるようになり、ふつうはその意味のことわざのとして用いられるようになりましたね。
「大器晩成」の意味は?
「大器晩成」には、次のような意味があります。大きな器を完成するのに手間も暇もかかるように、大人物は、若いときにはそれほど目立つことはないけれども、長い時間をかけて努力を積み重ね、晩年に大きな成功を収めるという意味の慣用句として用いられていますね。
《「老子」41章から》大きな器が早く出来上がらないように、大人物は世に出るまでに時間がかかるということ。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「大器晩成」
「大器」は「大きな器」という意味でしたが、老子は、才能のある人物は、その才能が発揮されるまでに時間がかかることがあると言ったのですね。「大きな器」はあくまでもたとえとして挙げられていることがわかりますね。
日本の歴史を振り返ってみると、江戸幕府を開いた徳川家康は、三河の大名の嫡子でしたが、若い頃には駿河や尾張に人質として送られ、その後は今川義元や織田信長の家臣のような地位に甘んじていました。豊臣秀吉が低い身分から天下人に成り上がったときにも、じっと耐え続けましたね。まさに「大器晩成」のタイプだったのですよ。
「大器晩成」の語源は?
次に「大器晩成」の語源を確認しておきましょう。古代中国の戦国時代には、孔子や孟子を中心とする儒学と、老子や荘子を中心とする老荘思想など、さまざまな思想が入り乱れていたのですね。誰が天下を取るかについて、さまざまな議論がされたわけですね。
それから少し時代はあとになりますが、戦国時代を終わらせた秦の始皇帝が死んだあと、また戦乱が始まり、最終的には項羽と劉邦の一騎打ちような様相を呈したのですね。結果は、何事にも才能のあった項羽ではなく、まさに「大器晩成」型の劉邦の勝利となり、漢王朝ができたのですよ。
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