この記事では「滅私奉公」について解説する。

端的に言えば「滅私奉公」の意味は「私心を捨て公に奉仕すること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

学習塾経営者で国語が得意なライター、ぼすこを呼んです。一緒に「滅私奉公」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ぼすこ

国立大学教育学部卒業後、学習塾を経営。読書好きが高じて蓄えた幅広い知識と、得意教科である国語の力で、四字熟語をわかりやすく解説していく。

「滅私奉公」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「滅私奉公」の意味や語源・使い方を基本的な内容を押さえていきましょう。

「滅私奉公」の意味は?

「滅私奉公」の意味を辞書で調べると次のようになります。

1.私心を捨てて公に尽くすこと。

出典:大辞林第三版(三省堂)「滅私奉公」

「滅私奉公」は、「めっしほうこう」と読み、まさに読んで字のごとく、という意味を持っていますね。

「滅私奉公」は、「滅私」と「奉公」とに分けて意味を考えることができます。前半の「滅私」は、私を滅すると書き、私利私欲を捨てる、という意味。後半の「奉公」は、公に奉ずる、と書き、公に仕える、という意味です。

「滅私」と「奉公」という2つの熟語を合わせることで、私利私欲を捨て、公に尽くす、という意味が作られています。1つ1つも献身的な意味を持つ熟語ですが、2つ合わせることで、よりその度合いが強くなる、と感じたのは私だけでしょうか。

「滅私奉公」の語源は?

「滅私奉公」の意味を確認したところで、次にその語源についても見ていくことにしましょう。

紀元前の中国・戦国時代には、中国各地を遊説して歩く人がおり、彼らの言説、国策、逸話などを編纂した「戦国策」と言われる書物があります。「滅私奉公」は、その中に登場する故事の一つ。元々は「自分の心を亡くし、国に奉仕する」という意味で使われていた言葉でした。現代の日本とは、使われている意味に少し違いがあるように感じますね。

日本の歴史では、鎌倉時代から明治維新までを封建制度の時代。江戸時代には「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」という言葉が武士道の模範的な考え方とされていたように、「自分の命を捨ててでも主人に尽くすこと」が一般的な武士の感覚でした。江戸時代には「戦国策」も広く学ばれましたが、そういった考えが背景にある中で「滅私奉公」の奉仕する相手が「国」から「主君」へと変化していったのも、自然なことだったのかもしれませんね。

日本の封建制度は明治維新をもって終了とされてはいますが、現代でも「自分を殺して、公に尽くす」という考え方は根強いものです。奉仕する対象も封建制度の終わりとともにいなくなった「主君」から「会社・企業・雇い主」「学校」「家庭」など自分が属するグループへと変化しています。「滅私奉公」の精神は日本人の中に深く刷り込まれているように感じざるを得ません。

\次のページで「「滅私奉公」の使い方・例文」を解説!/

「滅私奉公」の使い方・例文

では、私たちの生活の中で「滅私奉公」がどのように使われるのか、例文を見ていきましょう。

1.未曾有の大災害に際し、滅私奉公の精神で復興に努める。
2.あっさり解雇されないためにも、お父さんは会社のために滅私奉公しています。
3.滅私奉公もいいが、働き方には気をつけないと、体を壊すよ。

「滅私奉公」の意味は、「私心を捨てて、公に尽くすこと」ですが、現代で「滅私奉公」を使おうとすると、「心を捨てる」というよりも、「プライベートを犠牲にする」という使われ方が多いですね。「会社・仕事」に奉仕するという例文が多く、私自身にも「滅私奉公」の考え方が染み付いているな、と感じます。公務員の人ならば、「会社」ではなく「国」への奉仕、主婦の人ならば「家庭」など、日本人はついつい尽くしがちなのかもしれませんね。

「滅私奉公」の類義語は?違いは?

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「滅私奉公」と似た意味を持つ言葉を探してみました。どんなものがあるのか、早速見ていきましょう。

「自己犠牲」

「自己犠牲」の意味は、目的や自分以外のもののために、自らの時間・命・気持ちなどを捧げること、です。「滅私奉公」と似ているのは、自分の命までも犠牲にしようとする考え方。大きな違いは、「滅私奉公」の奉仕の相手が公のものとされているのに対し、「自己犠牲」の方は、奉仕の対象が「自分以外のもの」と幅広い点です。

\次のページで「「社畜」」を解説!/

「社畜」

近年よく使われるようになった言葉ですね。自分の心・プライベート・良心などを捨て、会社のためになることならなんでもやるという精神をもった社会人を指します。「会社」と「家畜」を掛け合わせた造語で、あまり良い意味で使われることはありません。

元来の「滅私奉公」は、「社畜」とは程遠いものでしたが、現代の日本で使われる「滅私奉公」は、まさにこの「社畜」の考え方そのもののように感じます。違いがあるとすれば、「滅私奉公」は自ら進んで奉仕するのに対し、「社畜」は結果的に会社に尽くさざるを得ない、ということがある点でしょう。

「滅私奉公」の対義語は?

「滅私奉公」の対義を持つ言葉ははっきりと定義されていません。そこで、「滅私奉公」の意味から、対義語となりそうなものを探してみました。

「自己中」

流行語としても取り上げられた「自己中(ジコチュー)」は、「何事も自分の好みや感覚を優先し、他人の気持ちや不利益を考えない人」という意味を持ち、自分を殺して公に尽くす「滅私奉公」の対極です。

「利己主義」

「公の不利益」という点で見れば、「利己主義」も対義語となり得るのでは。「利己主義」は、「自らの利益を最優先とし、時に周囲に大きな不利益を与えることもある」という意味を持っています。公に尽くすことを優先する「滅私奉公」とは、こちらも真逆ですね。

広く見れば、自らの心を大事にし、自由奔放に振る舞う人や考え方は、「滅私奉公」の対義となり、そのどれもがあまり日本では好ましく思われない行動や考え方になりますね。

「滅私奉公」の英訳は?

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「滅私奉公」は、欧米的な考え方ではないので、英訳がとても難しそう。次のような表現で伝えるのが良さそうです。

「selfless devotion」

「selfless」は「無私の」、「devotion」は「献身」という意味を持ち、合わせることで「無私の献身」という意味になります。「selfless devotion to〜」とすることで、「〜に対する無私の献身」という訳になり、「滅私奉公」に近い意味で表現できますね。

\次のページで「「滅私奉公」を使いこなそう」を解説!/

「滅私奉公」を使いこなそう

さて、「滅私奉公」について様々な観点から紹介しました。「私心を捨てて、公に尽くす」という意味を持つ「滅私奉公」。元の意味から少し変化して現代も使われていますが、類義語や対義語から見えるように、私たち日本人とは切っても切れない結びつきのある言葉です。時に自分を律して公を優先するのも大事なことですが、あまり「滅私奉公」の精神を強く持ちすぎるのも考えものだと感じさせられる記事となりました。

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【四字熟語】「滅私奉公」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「滅私奉公」について解説する。

端的に言えば「滅私奉公」の意味は「私心を捨て公に奉仕すること」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

学習塾経営者で国語が得意なライター、ぼすこを呼んです。一緒に「滅私奉公」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/ぼすこ

国立大学教育学部卒業後、学習塾を経営。読書好きが高じて蓄えた幅広い知識と、得意教科である国語の力で、四字熟語をわかりやすく解説していく。

「滅私奉公」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「滅私奉公」の意味や語源・使い方を基本的な内容を押さえていきましょう。

「滅私奉公」の意味は?

「滅私奉公」の意味を辞書で調べると次のようになります。

1.私心を捨てて公に尽くすこと。

出典:大辞林第三版(三省堂)「滅私奉公」

「滅私奉公」は、「めっしほうこう」と読み、まさに読んで字のごとく、という意味を持っていますね。

「滅私奉公」は、「滅私」と「奉公」とに分けて意味を考えることができます。前半の「滅私」は、私を滅すると書き、私利私欲を捨てる、という意味。後半の「奉公」は、公に奉ずる、と書き、公に仕える、という意味です。

「滅私」と「奉公」という2つの熟語を合わせることで、私利私欲を捨て、公に尽くす、という意味が作られています。1つ1つも献身的な意味を持つ熟語ですが、2つ合わせることで、よりその度合いが強くなる、と感じたのは私だけでしょうか。

「滅私奉公」の語源は?

「滅私奉公」の意味を確認したところで、次にその語源についても見ていくことにしましょう。

紀元前の中国・戦国時代には、中国各地を遊説して歩く人がおり、彼らの言説、国策、逸話などを編纂した「戦国策」と言われる書物があります。「滅私奉公」は、その中に登場する故事の一つ。元々は「自分の心を亡くし、国に奉仕する」という意味で使われていた言葉でした。現代の日本とは、使われている意味に少し違いがあるように感じますね。

日本の歴史では、鎌倉時代から明治維新までを封建制度の時代。江戸時代には「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」という言葉が武士道の模範的な考え方とされていたように、「自分の命を捨ててでも主人に尽くすこと」が一般的な武士の感覚でした。江戸時代には「戦国策」も広く学ばれましたが、そういった考えが背景にある中で「滅私奉公」の奉仕する相手が「国」から「主君」へと変化していったのも、自然なことだったのかもしれませんね。

日本の封建制度は明治維新をもって終了とされてはいますが、現代でも「自分を殺して、公に尽くす」という考え方は根強いものです。奉仕する対象も封建制度の終わりとともにいなくなった「主君」から「会社・企業・雇い主」「学校」「家庭」など自分が属するグループへと変化しています。「滅私奉公」の精神は日本人の中に深く刷り込まれているように感じざるを得ません。

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