この記事では「他力本願」について解説する。

端的に言えば他力本願の意味は「他人の力を頼りにする」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元国語塾講師で、仏教にも詳しいライターのトミー先生を呼んです。一緒に「他力本願」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/トミー先生

元国語塾講師で、通信教育で英語と国語の「赤ペン先生」などもやっていた。実はドイツ語が得意で、外国語を学ぶことにより国語を理解するのに役立つと実感している。今回は浄土教のキーワード「他力本願」について、語源と意味と使い方を自分でしっかり理解できるよう、わかりやすく解説していく。

「他力本願」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「他力本願」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。「他力」は「たりき」と読みますが、「他人の力」という意味ではないのですよ。ですから、「他力本願」を「他人の力で願いをかなえる」という意味だと理解するのは間違いなのですね。

また、親鸞聖人の開いた浄土真宗の総本山である東本願寺と西本願寺が京都にありますが、そのことから想像がつくように、「本願」とは阿弥陀如来の願いということで、阿弥陀様が何をお願いになられたのか、そのあたりから「他力本願」の意味と使い方を考えてみましょう。

「他力本願」の意味は?

他力本願」には、次のような意味があります。世界の西の彼方にある極楽浄土の阿弥陀仏は、そこからこの世をご覧になっていて、すべての人を救いたいという願いを持たれたのですよ。それが「弥陀の本願」ということになるのですね。

仏教は本来、お釈迦様が悟りを開いて、それを人々に伝えるところから始まったのですが、いろいろな宗派がありますね。日本では平安時代の末期から浄土信仰が盛んになり、鎌倉時代には法然上人の浄土宗と、法然の弟子の親鸞上人の浄土真宗が成立。それまで修行をすることで悟りを開こうとしてきた仏教のあり方から、「弥陀の本願」を信じ、修行するよりそれにすがればいいという「他力本願」の考え方が確立したのですよ。

1.《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2.《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「他力本願」

辞典の説明から、「他力」は他人の力ではなく、阿弥陀様のことを指していることがわかりますね。阿弥陀如来の力を頼りにして、久遠(くおん)の極楽浄土に導かれるという、浄土教の用語なのですね。実際、あなたがどんなに努力しても、仏様の力がなければ成仏することはできませんね。少し気楽に表現すれば、仏様のサポートが大切で、それさえあればこの世でのどんな苦しみにも耐えていけるし、また耐えていかねばならないという教えですね。

しかし、辞典にもあるように、この一見単純な浄土教の教えは誤解されて、自分が努力するのではなく、すべて他人をあてにすればいい、という意味で「他力本願」が使われるケースが多いようです。これは本来の意味からすれば誤りなのですが、その誤解さえも許してくださるのがすべての人を苦しみから救おうとする阿弥陀様なのかもしれませんね。

「他力本願」の語源は?

次に「他力本願」の語源を確認しておきましょう。西の彼方にある極楽浄土にいる阿弥陀如来は、人間の苦しむ姿をご覧になって、その苦しみから人を救いたいという願いを持たれましたね。それが「弥陀の本願」ということで、「他力」とは阿弥陀如来のことを指しているのですね。ですから、浄土宗や浄土真宗では、仏事や供養のときに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えますが、これは「阿弥陀様お助けください」という意味なのですよ。

浄土宗や浄土真宗と同時代に、日蓮上人が法華宗を開きましたが、これは数ある仏典のなかで「法華経(ほけきょう)」が唯一絶対のものであるとしたのでした。ですから、法華宗では「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えますね。

\次のページで「「他力本願」の使い方・例文」を解説!/

「他力本願」の使い方・例文

それでは、「他力本願」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1.室町時代に生きた浄土真宗の蓮如上人は、北陸地方を中心に「他力本願」の教えを伝え、凶作や年貢で苦しむ民衆のあいだに広まりました。
2.君はいつも「他力本願」などと言っているけれど、いつも人任せだからそのうち、自分で責任が取れなくなるかもしれないよ。

他力本願」の本来の意味は、浄土信仰の奥深い教義にあるのですが、ほとんど文字を読むことさえできない鎌倉室町時代の民衆に広まったために、いろいろ誤解を生んだようです。浄土真宗では「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」という思想があり、この世で悪いことをせざるを得なかった悪人こそが、阿弥陀如来の本願によって救われるべきなのだということですが、そのためにあえて悪事を犯す者がいたということもありますね。

「他力本願」の類義語は?違いは?

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他力本願」の類義語としては、「絶対他力」とか、ことわざの「苦しいときの神頼み」などがありますね。その意味や「他力本願」との違いなどを考えてみましょう。

「絶対他力」

浄土宗と浄土真宗の違いは何かというと、浄土宗より浄土真宗のほうが信仰が篤いということかもしれません。「南無阿弥陀仏」を何回も唱えなくてはならない浄土宗に対して、浄土真宗ではただ一度だけ「南無阿弥陀仏」と唱えて、西方浄土にいる阿弥陀如来と心が通じればどんな人でも救われると考えるのですね。

ですから浄土真宗では、「他力本願」をさらに一歩進めて「絶対他力」ということを教えているのですよ。阿弥陀仏の他力しか、われわれを救ってくれるものはない、ということでしょうね。

\次のページで「「苦しいときの神頼み」」を解説!/

「苦しいときの神頼み」

苦しいときの神頼み」は、ふだんは神や仏の信仰をないがしろにしているのに、何か困ったときがあるときだけ、神様や仏様にお祈りをするという意味ですね。それはたいていの人なら思い当たることだと思います。

今度神社に行って絵馬を捧げ、お寺に行っておみくじを引いてこようと思うんだ。「苦しいときの神頼み」だからね。

「他力本願」の対義語は?

他力本願」の対義語としては、「自力本願」という造語があります。もとも阿弥陀如来のことを指していた「他力」が「他人の力」ならば、「自力」はもちろん「自分の力」ですね。

「自力本願」

自力本願」の「自力」はもちろん、「じりき」と読みますね。「自力本願」は、他人の力などあてにせず、自分の力だけを信じてやり通すということでしょうか。しかし、他人との共同作業が大切な社会に生きていくためには、「他力本願」と「自力本願」とを適度にミックスして、自分なりの生きがいを見つけるのがいいのではないでしょうか。

君はまったく他人を信頼しない「自力本願」の教徒みたいだけど、それは社会人としては良いことではないよ。

「他力本願」の英訳は?

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他力本願」を、阿弥陀仏信仰の立場から英訳すると、salvation by faith in Amitabha(阿弥陀仏を信じることによる救い)となりますが、キリスト教を信仰する欧米の人たちには少し難しいかもしれませんね。

他力本願」の一般的な使い方である「他人の力を当てにする」という意味であれば、rely upon others(他人を頼る)がいいでしょう。

\次のページで「「rely upon others」」を解説!/

「rely upon others」

それでは、この言い方を用いて例文を作ってみましょう。

He always relies upon others.
彼はいつも「他力本願」だ。(彼はいつも他人に頼っている。)

「他力本願」を使いこなそう

この記事では「他力本願」の意味・使い方・類語などを説明しました。この世のどんな苦しみも、われわれ一人一人を救おうとしている阿弥陀如来を考えることで、少しは楽になるでしょうか。それは逆に言えば、この世に生きている限り苦しいのは当たり前ということだと、トミー先生は思いますね。

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国語言葉の意味

【四字熟語】「他力本願」の意味や使い方は?例文や類語をWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「他力本願」について解説する。

端的に言えば他力本願の意味は「他人の力を頼りにする」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

元国語塾講師で、仏教にも詳しいライターのトミー先生を呼んです。一緒に「他力本願」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/トミー先生

元国語塾講師で、通信教育で英語と国語の「赤ペン先生」などもやっていた。実はドイツ語が得意で、外国語を学ぶことにより国語を理解するのに役立つと実感している。今回は浄土教のキーワード「他力本願」について、語源と意味と使い方を自分でしっかり理解できるよう、わかりやすく解説していく。

「他力本願」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「他力本願」の意味や語源・使い方を見ていきましょう。「他力」は「たりき」と読みますが、「他人の力」という意味ではないのですよ。ですから、「他力本願」を「他人の力で願いをかなえる」という意味だと理解するのは間違いなのですね。

また、親鸞聖人の開いた浄土真宗の総本山である東本願寺と西本願寺が京都にありますが、そのことから想像がつくように、「本願」とは阿弥陀如来の願いということで、阿弥陀様が何をお願いになられたのか、そのあたりから「他力本願」の意味と使い方を考えてみましょう。

「他力本願」の意味は?

他力本願」には、次のような意味があります。世界の西の彼方にある極楽浄土の阿弥陀仏は、そこからこの世をご覧になっていて、すべての人を救いたいという願いを持たれたのですよ。それが「弥陀の本願」ということになるのですね。

仏教は本来、お釈迦様が悟りを開いて、それを人々に伝えるところから始まったのですが、いろいろな宗派がありますね。日本では平安時代の末期から浄土信仰が盛んになり、鎌倉時代には法然上人の浄土宗と、法然の弟子の親鸞上人の浄土真宗が成立。それまで修行をすることで悟りを開こうとしてきた仏教のあり方から、「弥陀の本願」を信じ、修行するよりそれにすがればいいという「他力本願」の考え方が確立したのですよ。

1.《他力(阿弥陀仏)の本願の意》仏語。自らの修行の功徳によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。浄土教の言葉。
2.《誤用が定着したものか》俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。

出典:デジタル大辞泉(小学館)「他力本願」

辞典の説明から、「他力」は他人の力ではなく、阿弥陀様のことを指していることがわかりますね。阿弥陀如来の力を頼りにして、久遠(くおん)の極楽浄土に導かれるという、浄土教の用語なのですね。実際、あなたがどんなに努力しても、仏様の力がなければ成仏することはできませんね。少し気楽に表現すれば、仏様のサポートが大切で、それさえあればこの世でのどんな苦しみにも耐えていけるし、また耐えていかねばならないという教えですね。

しかし、辞典にもあるように、この一見単純な浄土教の教えは誤解されて、自分が努力するのではなく、すべて他人をあてにすればいい、という意味で「他力本願」が使われるケースが多いようです。これは本来の意味からすれば誤りなのですが、その誤解さえも許してくださるのがすべての人を苦しみから救おうとする阿弥陀様なのかもしれませんね。

「他力本願」の語源は?

次に「他力本願」の語源を確認しておきましょう。西の彼方にある極楽浄土にいる阿弥陀如来は、人間の苦しむ姿をご覧になって、その苦しみから人を救いたいという願いを持たれましたね。それが「弥陀の本願」ということで、「他力」とは阿弥陀如来のことを指しているのですね。ですから、浄土宗や浄土真宗では、仏事や供養のときに「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えますが、これは「阿弥陀様お助けください」という意味なのですよ。

浄土宗や浄土真宗と同時代に、日蓮上人が法華宗を開きましたが、これは数ある仏典のなかで「法華経(ほけきょう)」が唯一絶対のものであるとしたのでした。ですから、法華宗では「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えますね。

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