ロバート・フックは生物学や物理学、天文学など様々な分野で名前を目にする。マルチな才能をもち、多方面で活躍した天才的な人物だったんです。フックの生きた時代背景なども合わせながら、彼の人生を見ていきたい。
今回も、大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。
ライター/小野塚ユウ
生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。
ロバート・フック
ロバート・フック(Robert Hooke)は17世紀にイギリスで活躍した科学者です。非常に多彩な研究者で、生物学や物理学など多方面に業績を残しています。
生涯
ロバート・フックは1635年にイギリス本土の南にあるワイト島で生まれました。小さなころから機械が好きで、製図の方法なども学んでいたといいます。
成長したフックはオックスフォード大学で助手としてはたらき始めました。医師のトーマス・ウィリスや、「ボイルの法則」でおなじみのロバート・ボイルなどの有名な科学者たちと出合い、その才能を磨いていきます。自身も数学や天文学、物理学、化学などを学び、重要な発見も成し遂げるようになりました。
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1660年に創立した王立協会(ロイヤル・ソサイエティ)にも初期から参加しています。王立協会は科学の歴史を語る上で欠かすことのできない存在ですので、後程詳しく言及しましょう。
王立協会で行われる実験に取り組んだり、新しい計測機器を設計したりと晩年も精力的に活動しました。生涯結婚はせず、1703年にロンドンで死去。67年の人生でした。
時代背景
17世紀のイギリスは、それまでの絶対王政から脱却し、社会体制が変化していく革命の時代にありました。例えば、科学の歴史においても、17世紀は激動の時代としてよく知られています。イギリスでは、今回の主役であるフックに加え、アイザック・ニュートンやロバート・ボイルが活躍し、科学の基礎をつくったのがこの頃なんです。
イタリアではガリレオ・ガリレイが晩年を過ごしており、天文学や物理学で才能を発揮。16世紀にニコラウス・コペルニクスが生み出した地動説を、ドイツのヨハネス・ケプラーが再発見し、その説を補強したのも17世紀にはいってからです。
各分野で大きな発見が続いたため、この時代を17世紀科学革命とよぶこともあります。
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