「上手の手から水が漏れる」など:上手な人もまれにしくじる
「上手(じょうず)の手から水が漏(も)れる」は「どんなに上手な人でも、まれにしくじることはある」という意味。これほどの達人でも失敗するのかという驚きの言葉ですが、相手に対しての敬意は失っていない表現です。
「念者の不念」は「ねんしゃのぶねん」と読みます。「念者(ねんしゃ)」とは「入念な人」「気を配り、物事を抜かりなくする人」のこと。「不念」は「気づかないで残念なこと」「不注意なこと」です。「念者の不念」は「いつも念を入れて物事をする人でも、不注意なときはある」という意味ですよ。
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「猿も木から落ちる」など:その道に長じた者でも、時には失敗する
「猿も木から落ちる」はあえて解説する必要もないくらいよく知られていることわざですね。木登り上手な猿でも木から落ちることがあるように、「その道に長じた者でも、時には失敗する」という意味です。
「竜馬(りゅうめ)の躓(つまず)き」という言葉もありますよ。「竜馬」とは俊足の馬のこと。どんな優れた馬でもつまずくことはあるでしょう。「竜馬の躓き」は「どんなすぐれた人でも失敗はある」ことのたとえです。
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「愚者(ぐしゃ)にも一得(いっとく)」:愚者もときには名案を出す
語源は『史記』「淮陰侯伝(わいいんこうでん)」。劉邦軍に生け捕りにされた兵法家(へいほうか)広武君(こうぶくん)が「智者(ちしゃ)も千慮(せんりょ)に必ず一失(いっしつ)あり、愚者も千慮に必ず一得あり」と言ったことに由来しています。
意味は「賢人もたまには判断を間違えるし、愚かな者もたまにはいい判断をする」です。「愚者にも一得」は「愚かな者でも、ときには役に立つ名案を出すことがある」という意味ですよ。「愚者にも千慮の一得あり」ともいいます。
「智者も千慮(せんりょ)に必ず一失(いっしつ)あり」は「千慮の一失(賢人もたまには間違える)」という故事成語になっており、こちらは「河童の川流れ」の類義語ですね。
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