生物学

DNAを発見したミーシャーとその過程を現役講師がわかりやすく解説!

今回は生物学者ミーシャ―と、DNA発見までの物語を見てみよう。

生物学に限ったことではないが、歴史上重要な科学者や実験を学ぶことには重要な意味がある。現在当たり前に知られている事象でも、その発見までの過程を知ればより理解が深まるんだ。今回はミーシャ―をスタートに、DNAが発見されるまでの歴史を見ていきたい。

大学で生物学を学び、現在は講師としても活動しているオノヅカユウに解説してもらおう。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/小野塚ユウ

生物学を中心に幅広く講義をする理系現役講師。大学時代の長い研究生活で得た知識をもとに日々奮闘中。「楽しくわかりやすい科学の授業」が目標。

生理学者ミーシャ―

今回のお話は、生物学者ミーシャ―の紹介から始めたいと思います。

ミーシャ―は核酸の発見者として、生物学の教科書に必ずといっていいほど載っている人物です。正式はその名前をヨハネス・フリードリッヒ・ミーシェル(Johannes Friedrich Miescher、ミーシャとも読む)といいます。

1844年にスイスのバーゼルで生まれ、1895年に51歳で亡くなりました。

今回は呼び名を日本の教科書でよく見るミーシャ―に統一したいと思います。

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copied from http://www.pbs.org/wgbh/nova/photo51/images/befo-miescher.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

ミーシャ―の代表的な研究成果である核酸の発見は、1869年におこなわれました。どのような過程でこの発見がなされたのでしょうか?

核酸の発見

1869年当時、ミーシャ―はドイツのテュービンゲン大学で、フェリクス・ホッペ=ザイラーという人物に師事していました。ホッペ=ザイラーは有名な生物学者であり、とくに生化学の分野で多くの研究者に影響を与えた人物です。

ミーシャ―はホッペ=ザイラーに、白血球に関する研究をするように指導されました。白血球はご存知の通り、動物の免疫反応に関わる細胞です。

研究用に大量の白血球を集めるため、ミーシャ―は免疫反応が起きている傷口に目をつけました。彼が求めたのは、包帯などにべっとりと付着している膿(うみ)です。

image by iStockphoto

膿は免疫反応の際に細菌を取り込み、死んでしまった白血球(リンパ球)がたまったもの。白血球にふくまれている成分などをしらべるにはもってこいの対象でした。

さまざまな実験を試した結果、ミーシャ―は白血球のを集めることに成功します。核の中からはリンが豊富に含まれた物質が得られたのです。その後、この物質はヌクレイン(核酸)と名付けられました。

1929年にはフィーバス・レヴィーンという科学者が、核酸にはDNAとRNAの二種類が存在することや、DNAにふくまれる糖がデオキシリボースであることなどを発見します。

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現代の私たちは、ミーシャ―によって発見された核酸…つまりDNAやRNAが、どれだけ重要な物質であるかを理解しています。核酸は遺伝情報をつかさどる物質であり、自身の身体を作り上げたり、子孫に情報を伝える際に必要であることは周知の事実です。

しかしながら、核酸が発見されたときには、それにどんな意味があるのか、体内でどんな役割を果たしているのかがわかりませんでした。DNAの重要性が理解されるのは、もう少し時間がたってからのことになります。

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ちなみに、スイスのバーゼルには彼の名を冠したフリードリッヒ・ミーシェル研究所(FMI)があるぞ。

DNAの発見があったころの時代背景

ミーシャ―が核酸を発見した1800年代後半は、それまでの生物学から近代生物学への大きな飛躍が始まった時代でした。

シュライデンシュワンによる細胞説の提唱が1830年代後半にあり、1858年にはフィルヒョーが「全ての細胞は細胞から生じる」という考え方を発表。1870年前後は、生物の単位が細胞であるということが研究者に広まり、細胞研究が一層盛んになり始めた時代です。

また、1860年代からはパスツールコッホが活躍し、微生物や細菌への理解が深まっていきました。「生物とは何か、どのように生きているのか」という謎に、たくさんの生物学者がそれぞれのアプローチをかけていた時期だったのです。

image by iStockphoto

一方、DNAの発見からさかのぼること4年前の1865年。生物の遺伝を考えるうえで重要な、ある研究が発表されます。その研究は世間からほとんど理解されず、数十年後にようやくその意味や重要性が見出されました。その研究こそ、グレゴール・ヨハン・メンデルによる遺伝の法則の発見です。

ミーシャ―の発見もメンデルの発見も、評価されるのはずいぶん時間が後だったという点では共通しています。彼らの研究はすこし時代を先取りしすぎたのかもしれませんね。

遺伝学の本格的なはじまり

1900年、オランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマクの3人によって、メンデルの法則が再発見されます。「生物の親子が似ていたり、特定の形質が伝わるのは遺伝子によって遺伝情報が受け渡されるからだ」という考え方が爆発的に広まり、進化や突然変異といった現象についての研究が続々と誕生しました。

続いて1902年にアメリカのサットンが、遺伝情報は核の中の染色体に存在しているという説(染色体説)を発表します。染色体は核酸であるDNAとタンパク質からなる物質。ほとんどの科学者はDNAではなくタンパク質の方に遺伝情報が存在すると考えていました。

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なぜDNAではなく、タンパク質が遺伝情報の伝達物だと考えられたのだろうか?

DNAやRNAは4種類の異なる塩基をもったヌクレオチドがつながってできています。一方、タンパク質は20種類のアミノ酸がつながってできるものです。複雑な遺伝情報を記録するには、タンパク質の方が適切であろうと、ほとんどの生物学者が考えていたのでした。

1928年にはイギリスの生物学者グリフィスが肺炎双球菌を使った実験を行い、形質転換という現象を発見します。

この実験では、病原性をもっていない肺炎双球菌が、病原性のあるものから何らかの形で遺伝情報を受け渡されると、新たに病原性を獲得することが示されたのです。遺伝情報は受け渡しも可能であることがわかり、その本体が何なのかを探る研究が急速に進みます。

DNAに遺伝情報が存在することが判明

1944年、エイブリー(アベリー)らの研究チームはグリフィスと同じ肺炎双球菌を使い、遺伝情報の本体はDNAにあることを突き止めます。

この実験でエイブリーはタンパク質を分解する酵素とDNAを分解する酵素の2種類を使いました。病原性のある肺炎双球菌から取り出した物質にタンパク質分解酵素を加え、DNAだけにしたものによって病原性のない肺炎双球菌を形質転換することに成功したのです。

8年後の1952年にはハーシーとチェイスという二人の生物学者がおこなったウイルス(T2ファージ)の実験により、タンパクではなくDNAが遺伝情報の本体であることが確実とされました。

その後、DNAの二重らせん構造の解明や、遺伝暗号の解読が実現し、生物を分子レベルで分析する分子生物学が興隆しました。

image by Study-Z編集部

核酸の発見からはじまった長い物語でしたが、もちろん現在もDNAや遺伝の研究は進められています。もはや核酸の知識は生物学の研究になくてはならないものです。現在から約150年前の発見がこんなに重要だったなんて、ミーシャ―には想像ができなかったかもしれませんね。

DNA発見の歴史はストーリーで理解しよう

核酸の発見からDNAの機能が見出されるまでの歴史をみてきました。この記事に登場した生物学者の名前は、高校生物の教科書にも載っており、テストや入試に出題されることもあります。流れのあるストーリーとして理解しましょう。

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