1-5、ロンドン万国博覧会
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J. McNeven – collections.vam.ac.uk, パブリック・ドメイン, リンクによる
ロンドンで、1851年、世界最初の万国博覧会、万国産業製作品大博覧会がヴィクトリア女王の夫君アルバート公がプロモーターとなって開催。博覧会は、イギリスが世界の工場としての地位を確保したことを誇示するものとして、近代工業技術とデザインの祝典として組織され、会場のハイドパークには、ガラスと鉄筋で作られた水晶宮(クリスタル・パレス)が建設されたということ。そしてロンドン万博覧で得た186000ポンドの利益は、ヴィクトリア&アルバート美術館、ロンドン自然史博物館サイエンス・ミュージアムを設立する為に使われたそう。
また、第2回のロンドン万博は1862年にも開催され、当時の駐日イギリス公使のラザフォード・オールコックが自身で収集した漆器や刀剣、版画といった日本の美術品から、当時の日本では日用品だった蓑笠や提灯、草履などの展示が絶賛されて、ジャポニズムの契機となったそう。
尚、開会式には日本の文久遣欧使節の一行が参加、使節団の一員だった福沢諭吉がExhibitionを「博覧会」と訳したということ。
2-1、ヴィクトリア朝の文化
科学技術が制度として確立し、鉄道網が全国に張り巡らされ、電信も発明され、新聞などのマスメディアが普及。またヴィクトリア女王夫妻の結婚式の純白のウェディングドレス、未亡人の喪服が定着するなど、王室一家の注目度、一般家庭がお手本とする姿勢も現代並みに。
ヴィクトリア朝初期には、囲い込み運動で土地を奪われ、農村から都市に流入した貧困層がうまれたとはいえ、社会主義運動の成果などにより徐々に改善が進み、大衆社会の文化が生まれたということで、ヴィクトリア朝の代表的な文化をご紹介しますね。
2-2、ヴィクトリア朝の美術
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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー – http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/joseph-mallord-william-turner-the-fighting-temeraire, パブリック・ドメイン, リンクによる
ヴィクトリア女王は自身もスケッチなどを残しているほど絵画の趣味を持ってたためか、イギリスの芸術家を後援したので、多くの芸術家が上流階級で王族や貴族と親しく交わったということ。そういうこともあってヴィクトリア朝の芸術は、創造性が開花した黄金期となり、産業革命で裕福となった資本家層から庶民までがロンドン万博や美術展覧会に殺到する時代に。
また、写真の発明やトーキーなどの影響で、写実性が重視されたりと画風も産業革命の機械の影響を受けたということ。代表的な画家としては、ロセッティ、ミレー、コンスタブル、ターナー、ランドシーア、バーン=ジョーンズ、レイトン、ワッツなど。
2-3、ヴィクトリア朝の文学
「シャーロック・ホームズ」のアーサー・コナン・ドイル、「クリスマス・キャロル」「オリバー・ツイスト」で知られるチャールズ・ディケンズは、この時代を代表する作家で、中産階級でなかなか贅沢な生活の私立探偵ホームズの世界、農村から都会の労働者となった人々の貧しくて過酷な生活を描いたディケンズの作品は、どちらもヴィクトリア朝のロンドンが舞台に。
ほかにも小説家のジョージ・エリオット、オスカー・ワイルド、詩人のエリザベス・ブラウニング、「ジェイン・エア」のシャーロット・ブロンテらブロンテ姉妹に、ウォルター・スコット、ルイス・キャロル、ウィリアム・メイクピース・サッカリーなど。
2-4、ヴィクトリア朝の学問
ヴィクトリア朝は現代のように科学が学問分野となった時代で、1859年にチャールズ・ダーウィン著の「種の起源」が発刊されたことで、進化論がブームになるなど民衆の価値観にも大きな影響を与えたそう。
また博物学がファッション化、一般家庭の居間にまで、昆虫、植物、貝などのコレクションが置かれ、幻燈を用いた動物学の講演なども大盛況に。美しいイラスト満載の博物学の本は売れに売れて、世界各地からの珍種発見の話題が最新流行の話題となったということ。
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2-5、ヴィクトリア朝に多くの犬種が改良、固定
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エドウィン・ランドシーア – http://arthistory.about.com/od/from_exhibitions/ig/the_conversation_piece/fashionable_life_0910_11.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる
現在、世界には700~800犬種の犬がいると言われ、この中で犬種としてイギリスの団体「ケンネルクラブ」が公認した犬種は339犬種ということで、30種類以上いるというイギリス原産の犬種はほとんどがヴィクトリア朝に改良、固定されたそう。
ヴィクトリア女王とアルバート公はもちろん大の犬好きで、ダッシュという名のキング・チャールズ・スパニエル種の愛犬を戴冠式の日にお風呂に入れた話は有名だし、スコットランドでコリー犬を見初めて連れて帰ったとか、イタリアでポメラニアンに心を奪われて連れて帰り犬舎で繁殖させたとか、この頃に改良されたスカイテリアやグレーハウンド、スピッツ、コリー、ポメラニアン等と生活を共にし、肖像画に描かせたり写真を一緒に写したりしたため、生活に余裕の出来た中産階級でも、女王一家がペットとともに暮らする姿に影響を受けたということ。
イギリスの「ケンネルクラブ」はまさにこのヴィクトリア朝の1873年に、純血種の犬籍管理などを統括する目的で設立され、毎年、クラフト展という世界的に有名なドッグショーの運営開催などを行い、現在に至る活動を。
またヴィクトリア女王は、積極的に動物愛護や動物の権利促進の政策を打ち出し、動物愛護に賛同する小論文を書かせた学校を表彰し、動物実験を文明国の恥と批判して公に反対の姿勢で、1840年には王立動物虐待防止協会の設立を支援したし、動物を虐待した者には恩赦を与えなかったということ。
2-6、食文化
イギリスと言えば紅茶ですが、最初にイギリスでお茶が売られたのは1957年で万病に効く秘薬として。その後、チャールズ2世の王妃でポルトガル王女のキャサリンオブブラガンザが、持参金として北アフリカのタンジールとインドのボンベイ(現・ムンバイ)をイギリスにもたらし、中国茶と貴重な砂糖も大量に持参、イギリス宮廷に喫茶の習慣が入ってきて、貴族社会にお茶の習慣が広まったそう。
そしてヴィクトリア朝になると、中産階級にまでお茶の習慣が定着、一般人もコーヒーハウスで、コーヒーや紅茶、チョコレートなど、イギリスでは生産できない、異国情緒あふれる植民地で栽培されたエキゾチックな飲み物を楽しみ、またお菓子とサンドイッチのアフタヌーンティーの習慣が始まったのも、ヴィクトリア朝ということで、今でいうカリスマ主婦のビートン夫人の家政読本が出版されたのもこの時代のこと。
2-7、オカルトがブーム
イギリスと言えば、幽霊が出る館のツアーがあり、解説本も出版されていたりするのですが、ヴィクトリア朝はオカルトブームの時代でもありました。
死者の霊を呼び出してコミュニケーションをとるという降霊会が行われたりしたそうで、ヴィクトリア女王の次女アリス王女も霊媒師と言われたとか、アルバート公亡き後、ヴィクトリア女王が再婚したと言われるジョン・ブラウンも霊媒説があり、またアーサー・コナン・ドイルも晩年はオカルトにはまったことは有名。
3、ヴィクトリア朝の価値観と矛盾
ヴィクトリア朝は、貴族だけでなく富裕層や庶民など幅広い層の生活が向上して、一般大衆まで洗練されるようになった反面、貧民街が出現して、売春などの犯罪の増加、また児童労働や労働者や植民地の搾取なども行われていたということ。
環境汚染も深刻となり、霧のロンドンではなくて、ロンドンの街は常に工場の煙突から流れ出る石炭の煙でもうもうとしていたそう。そしてロンドンの中心を流れているテムズ川は、生活排水に工業排水などで汚れきっていて、道路は無数の馬車によって渋滞、1863年、世界初の地下鉄が開通したものの、蒸気機関車の煙でトンネル内は煙で前が見えないほどだったということ。
しかしこの時代はそういう問題に対して正面から取り組んで解決するよりも、直視しない傾向があったためか、現在ではヴィクトリア朝的価値観、ヴィクトリア朝的というのは、偽善的な道徳的基準という意味をあらわすことがあるそう。
尚、1888年にロンドンの貧民街イースト・エンドのホワイト・チャペルで起きた、いまだ未解決の連続殺人事件「切り裂きジャック」事件は、まさにこのヴィクトリア朝の陰の象徴ともいえるような事件。
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