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19世紀にイギリスが繁栄した「ヴィクトリア朝」この女王の世紀を歴女がわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ、今回はヴィクトリア朝を取り上げるぞ。ヴィクトリア女王が在位した時代のことだが、どんな時代だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところをヨーロッパの歴史も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、ヨーロッパの歴史にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、ヴィクトリア朝について5分でわかるようにまとめた。

1-1、ヴィクトリア朝とは

ヴィクトリア朝とはイギリスのヴィクトリア女王が統治していた1837年から1901年の期間のことで、この時代はイギリスの歴史上でも産業革命が起こり、工業、経済が発展そして社会や文化も成熟した絶頂期。

イギリスが経済的に繁栄して、圧倒的な海軍力を保持し、大英帝国が植民地統治へと勢力を拡大したことで平和を保持した時代として、「パクス=ブリタニカ Pax Britannica」とも呼ばれるそう。

1-2、ヴィクトリア朝の政治は

ヴィクトリア女王のもとで、保守党と自由党による二大政党政治が展開。1867年には、都市労働者にも選挙権を拡大する第2回選挙法改正が議会を通過。1884年の第3回選挙法改正では農業労働者や鉱山労働者にも選挙権が拡大して事実上男性普通選挙制が実現、議会主義制度が発展。

ほかには、アイルランドの小作人を保護する土地法案の成立や、1870年には教育法が制定されて公立学校が増設、国民教育の普及がすすめられ、1871年には労働組合の法的地位が認められたということ。

1-3、ヴィクトリア朝の経済

イギリスは産業革命がおこったのちに「世界の工場」と言われ、工場での大量生産を行った物品の消費を求めて自由貿易主義となり、穀物法を廃止して英仏通商条約などを締結。

重化学工業が発展して交通、運輸の手段や通信、コミュニケーションの手段が発達したために、天然資源、製品を消費するための市場を求めて対外膨張政策が本格化。そして金融資本が成長して資本輸出が奨励されたことで、市場、労働力、資源をもつアジアやアフリカの地域の植民地化がさかんに。

産業革命とは
18世紀中頃から19世紀初頭までのイギリスではじまった機械制の工場と蒸気力の利用を中心の技術革新、それに伴う社会の変化のこと。

18世紀後半のイギリスでは、まず木綿工業が、手工業に替わる機械が発明されて蒸気機関も出現して技術革新となり、蒸気機関を利用するための石炭の掘削も行われるため、機械工業、鉄工業、石炭業といった重工業まで波及。

そして蒸気機関車のための鉄道網が作られて、蒸気船での遠距離長期航海による交通革命をもたらすことに。こういった工場制機械工業の出現、大量生産、消費の拡大による大革新のおかげで、激しい社会変動をも生みだすことになり、資本家と労働者、生産者と消費者という社会関係が起こって、現在に至る資本主義社会が確立。

基本的な生産基盤が農業社会から工業社会へと転換したことに伴って、人口の都市集中が起こり、イギリスではマンチェスター、バーミンガム、リヴァプールなどの新興都市が誕生。

また工場での労働には職人技が必要なく、女性、子供を含めてだれでも従事できたこと、工場や鉱山などでも、労働者は劣悪な環境で低賃金で長時間作業など、色々と労働問題が起こり、また都市では貧困層が深刻な社会問題に。

1-4、植民地政策

イギリスをはじめとする欧米諸国の植民地獲得は、17世紀ころからのことだったが、産業革命のために、大規模な原料供給地と出来上がった製品を消費する市場を求めて、南北アメリカ大陸やアフリカ、アジアへ植民地獲得にまい進。

極東の清国を相手にアヘン戦争を起こして香港や上海を占領し、日本にも貿易を求めて通商条約を結び、有能な外交官が薩摩藩と長州藩らによる明治維新の推進の手助けをしたりと、大きな影響を与えることに。

またイギリスの帝国主義政策で植民地紛争が増加したため、アフリカではボーア戦争、中央アジアではアフガン戦争などが発生。

\次のページで「1-5、ロンドン万国博覧会」を解説!/

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