「すべからく」の由来は?
「すべからく」は漢文由来の言葉です。「須」は再読文字のひとつで「べし」を予告するもの。再読文字とは、その名の通り2回読む文字ですね。高校で習ったのを覚えていますか?「すべからく~べし」という読み方は、訓読する際に生み出されました。文法的には動詞の「す」+助動詞の「べかり」=「すべかり」のク語法で「すべからく」となります。ク語法、覚えてますか?
「すべからく」の誤用について
冒頭で、約4割の日本人が「すべからく」の意味を間違って解釈していることが文化庁の調べで明らかになった、と述べました。間違いのほとんどは、「すべからく」を「すべて」「みな」「総じて」と理解しているというものだったそうです。先に引用した『三省堂国語辞典』の2項に〔あやまって〕とありましたね。
なるほど、「すべからく」を「すべて」と勘違いするのは語音からして無理もなさそうに思われます。「古代語の『すべからく』が時代を経て現在の『すべて』に変わったんやで~」などともっともらしくいわれたら、「やっぱりな。そうじゃないかと俺もうすうす感づいてた」と納得してしまいそうですものね。
しかし、間違いの要因は音が似通っていることだけではなさそうだ、と調査を行った文化庁は述べています。なかなか興味深い分析なので、少し長くなりますが引用してみましょう。
真に実在さるべきものは,かかる醜悪不快の現実でなく,すべからくそれを超越したところの,他の「観念の世界」になければならぬ。(萩原朔太郎 「詩の原理」 昭和3年)
(中略)ここでは,「真に実在するものは,当然のこととして,現実にではなく,現実を超越した「観念の世界」にあるべきものである。」ということが述べられています。Aは当然Bにある,というとき,Aは全てBにある,と考えることもできるでしょう。この場合なら,「真に実在さるべきもの」は,全て「観念の世界」にある,と言い換えても,考え方それ自体は間違っていません。「すべからく」を「全て,皆」という意味で受け取ってしまっても,違和感が生じにくいのです。
これは,「すべからく~べきだ」という典型的な語形をとっている場合にも同様です。例えば,世論調査で挙げた文,「学生はすべからく勉学に励むべきだ。」はどうでしょう。「学生は,当然のこととして,勉学に励むべきだ。」という文意からすれば,「全ての学生は,勉学に励むべきだ。」ということも言えることになり,意味的につながってしまうのです。このように,「すべからく」は,意味的にも「全て,皆」と受け取られやすいところがあると言えそうです。
(出典:文化庁月報 平成24年7月号(No.526)より抜粋)
さすがは文化庁文化部国語科、非常に論理的で明快な文章です。もはや、私が付け加えることはなにもありません。
参考までにご紹介しておきましょう。「すべからく」の誤用に関して、かの博覧強記の文学者、澁澤龍彦氏が自身の著書の中で怒りを込めて言及しています。ある有名な演出家の著作を槍玉に挙げて痛快に論じていますので、興味があれば是非一読なさってみてください。『太陽王と月の王』(河出書房新社)という本です。
「すべからく」の使い方・例文
それでは、正しく使われている「すべからく」の例文をいくつか見ていきましょう。
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