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「キュビズム」とはどのような芸術運動?その特徴を元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。美術史のなかで「キュビズム」は遠近法の描き方に革命を起こした運動と言われている。「キュビズム」を発展させたのがピカソとブラック。いろいろな角度の視点からモノを描いた。

「キュビズム」は絵画の歴史にどのような影響を与えたのか。それじゃ、その手法の発展と変化について世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史をたどるとき「キュビズム」を避けて通ることはできない。第一次世界大戦まえから開始された「キュビズム」は、現実の見方に一石を投じた。そんな芸術家の方法と、その後の影響を解説していく。

「キュビズム」は遠近法を解体する絵画の手法

image by PIXTA / 45006167

キュビズムとは、絵画の手法のひとつで、遠近法を解体する方法です。当時としては、伝統的な手法に異議申し立てをする過激な芸術運動という位置づけでした。そのため運動が始まった時期は、賛否両論がわきおこります。

ルネサンス芸術にて確立された遠近法

絵画の歴史は遠近法の確立と共にあります。もともと絵画は「平面的」。モノや風景に奥行はありませんでした。それが徐々に、前にあるものは大きく、後ろにあるものは小さく描くことで、奥行きが表現されるようになります。

芸術における遠近法が確立したのは15世紀ヨーロッパのルネサンス期。遠近法確立の立役者となったのがレオナルド・ダ・ヴィンチです。建築、数学、幾何学の研究を応用して、絵画の遠近法を確立します。

単一ではなく複数の視点でモノを描く

ルネサンス期に確立された遠近法は、一人の人間が見ている世界を再現するもの。そのためキャンバス上に再現された世界は、一人の目に映っているものという前提がありました。

キュビズムが目指したことは「一つの視点」という前提を打ち壊すことです。一人の女性を描く場合、一人の視点ではなく複数の視点を設定することにより、遠近法のルールを破壊していきました。

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現代の我々にとっても遠近法は当たり前のように使っている絵画の手法だ。球体を描く場合は陰影をつけてそれっぽく描く。近くにあるものは大きく、遠くにあるものは小さく描く。その「当たり前」に立ち向かったのがキュビズムというわけだ。

「キュビズム」に影響を与えたのが印象派

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クロード・モネ – art database, パブリック・ドメイン, リンクによる

キュビズムは、芸術史のなかで突然にあらわれたわけではありません。それに先立つ芸術運動として存在するのが印象派。印象派は、モノや風景の瞬間を固定するのではなく、変化を含めて描こうとしました。

印象派は写真の登場により生み出された手法

印象派が生まれたのは19世紀後半のフランス。この芸術運動が活発化した背景として写真技術の存在があります。単一の視点によるモノや風景を機械的に再現するテクノロジーがカメラ。絵画の手法である遠近法を正確に実現することを可能としました。

撮影技術が向上することにより、芸術家たちは自分の存在価値を問い直すようになります。そこで、遠近法とは異なる表現方法を追求するようになりました。そこで生まれた芸術運動のひとつが印象派です。

主観的な自然を描くことでカメラを越えようとした

印象派の芸術家たちは、ある瞬間を固定させて再現するのではなく、目に移す変化をキャンバス上に描き出そうとしました。一例となるのが湖。太陽が反射する湖は、光がキラキラと輝きながら変化していきます。そんな光の質的な変化や動きを描写することが印象派のチャレンジとなりました。

印象派が表現した世界は人間の目に映る世界。カメラの目は、ある一瞬を切り取り、セルロイド上に固定させます。一方、人間の目に映る世界は、いろいろな要素が変化するもの。変化や動きを描写することでカメラというテクノロジーを越えようとしました。

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