世界史

「キュビズム」とはどのような芸術運動?その特徴を元大学教員が解説

よぉ、桜木建二だ。美術史のなかで「キュビズム」は遠近法の描き方に革命を起こした運動と言われている。「キュビズム」を発展させたのがピカソとブラック。いろいろな角度の視点からモノを描いた。

「キュビズム」は絵画の歴史にどのような影響を与えたのか。それじゃ、その手法の発展と変化について世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史をたどるとき「キュビズム」を避けて通ることはできない。第一次世界大戦まえから開始された「キュビズム」は、現実の見方に一石を投じた。そんな芸術家の方法と、その後の影響を解説していく。

「キュビズム」は遠近法を解体する絵画の手法

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キュビズムとは、絵画の手法のひとつで、遠近法を解体する方法です。当時としては、伝統的な手法に異議申し立てをする過激な芸術運動という位置づけでした。そのため運動が始まった時期は、賛否両論がわきおこります。

ルネサンス芸術にて確立された遠近法

絵画の歴史は遠近法の確立と共にあります。もともと絵画は「平面的」。モノや風景に奥行はありませんでした。それが徐々に、前にあるものは大きく、後ろにあるものは小さく描くことで、奥行きが表現されるようになります。

芸術における遠近法が確立したのは15世紀ヨーロッパのルネサンス期。遠近法確立の立役者となったのがレオナルド・ダ・ヴィンチです。建築、数学、幾何学の研究を応用して、絵画の遠近法を確立します。

単一ではなく複数の視点でモノを描く

ルネサンス期に確立された遠近法は、一人の人間が見ている世界を再現するもの。そのためキャンバス上に再現された世界は、一人の目に映っているものという前提がありました。

キュビズムが目指したことは「一つの視点」という前提を打ち壊すことです。一人の女性を描く場合、一人の視点ではなく複数の視点を設定することにより、遠近法のルールを破壊していきました。

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現代の我々にとっても遠近法は当たり前のように使っている絵画の手法だ。球体を描く場合は陰影をつけてそれっぽく描く。近くにあるものは大きく、遠くにあるものは小さく描く。その「当たり前」に立ち向かったのがキュビズムというわけだ。

「キュビズム」に影響を与えたのが印象派

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クロード・モネ – art database, パブリック・ドメイン, リンクによる

キュビズムは、芸術史のなかで突然にあらわれたわけではありません。それに先立つ芸術運動として存在するのが印象派。印象派は、モノや風景の瞬間を固定するのではなく、変化を含めて描こうとしました。

印象派は写真の登場により生み出された手法

印象派が生まれたのは19世紀後半のフランス。この芸術運動が活発化した背景として写真技術の存在があります。単一の視点によるモノや風景を機械的に再現するテクノロジーがカメラ。絵画の手法である遠近法を正確に実現することを可能としました。

撮影技術が向上することにより、芸術家たちは自分の存在価値を問い直すようになります。そこで、遠近法とは異なる表現方法を追求するようになりました。そこで生まれた芸術運動のひとつが印象派です。

主観的な自然を描くことでカメラを越えようとした

印象派の芸術家たちは、ある瞬間を固定させて再現するのではなく、目に移す変化をキャンバス上に描き出そうとしました。一例となるのが湖。太陽が反射する湖は、光がキラキラと輝きながら変化していきます。そんな光の質的な変化や動きを描写することが印象派のチャレンジとなりました。

印象派が表現した世界は人間の目に映る世界。カメラの目は、ある一瞬を切り取り、セルロイド上に固定させます。一方、人間の目に映る世界は、いろいろな要素が変化するもの。変化や動きを描写することでカメラというテクノロジーを越えようとしました。

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遠近法の確立者と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチは、写真技術の先駆けと言われる実験も行っている。絵画の遠近法は、写真技術の登場によって完成したと言うこともできる。だからこそ、それを解体する芸術運動が起こったのだろう。

キュビズムの中心人物がピカソとブラック

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印象派に続いて20世紀前半にあらわれたのがキュビズムです。キュビズムの創始者といわれるのがパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラック。最初は芸術界の反発を受けていましたが、徐々に理解者を増やしていきました。

スペイン生まれのパブロ・ピカソ

パブロ・ピカソはスペイン生まれの芸術家。数多くの作品を残した人物としても知られています。ピカソの作品は時期に応じて手法が変化。キュビズムは、ピカソの創作活動のある時期を特徴づけるものです。

ピカソはかなりの色男で、彼の作品には数多くの女性が登場します。恋愛関係にあった女性をキュビズムの手法で描写しました。ピカソのチャレンジは舞台芸術、彫刻、コラージュなどいろいろな領域に及びます。

フランス人画家ジョルジュ・ブラック

ジョルジュ・ブラックはピカソとくらべると知名度が劣りますが、実はキュビズムの発展にもっとも寄与した人物と言えます。ピカソの才能をいち早く見抜いて後押ししたのがブラック。ブラックなしでは芸術家ピカソの名声は存在しなかったとも言えるでしょう。

20世紀前半、ブラックはピカソの共同制作者として前衛的な作品を創作しますが、第一次世界大戦がはじまると出征。終戦後は新たなパトロンを見つけて創作活動を続けますが、落ち着いた雰囲気の静物画がメインとなります。

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キュビズム=ピカソというイメージが定着しているが、ブラックの功績を忘れてはならない。ブラックの作品はピカソとくらべるとモノトーンで地味。そのため後世の評価がいまいちなのかもしれない。

『アビニヨンの娘たち』からキュビズム革命が始まる

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キュビズムの出発点とされる作品がパブロ・ピカソの『アヴィニョンの娘たち』。1907年の作品です。アフリカ彫刻の手法に影響を受けて制作されたと言われています。

バルセロナの売春婦を書いた問題作

『アヴィニョンの娘たち』で描かれたのは5人の若い女性。バルセロナのアビニョ通りにある売春宿の女性たちです。女性たちの裸体を奇妙に変形させた形で描きました。

もともとピカソは売春婦であることを前面に出していましたが、批判されること避けるため「娘たち」と曖昧にします。しかしながら、一糸まとわぬ若い女性の挑発的な姿は「不謹慎」であると批判を受けました。

女性の体をアフリカ彫刻のように再現

『アヴィニョンの娘たち』に登場する女性の姿は幾何学的で、本当はどんな容姿なのか分からないほど変形されています。女性のふくよかな裸体を美しく表現する伝統的な芸術とは正反対のものでした。

ピカソ自身は、『アヴィニョンの娘たち』におけるアフリカ彫刻の影響を否定しています。しかしながら同時期のヨーロッパでは、アフリカの歴史や芸術への関心が高まっていたこともあり、何らかの影響を受けていると言えるでしょう。

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『アヴィニョンの娘たち』はニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されている。MoMAは近代芸術のメッカ。所蔵しているもののジャンルも多岐にわたる。KDDIの携帯電話が所蔵されたことでも話題になった。

第27回アンデパンダン展にてキュビスムを世界に発信

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Wikizooler投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

アンデパンダン展は、伝統的な芸術サロンに対抗するために1884年から開催されている独立系の展覧会。1911年の第27回アンデパンダン展にてキュビズムの作品を大量展示し、その取り組みを世界に発信しました。

保守的な美術界に対抗する自由展示会

アンデパンダン展は、伝統とは異なる様々なチャレンジを受け入れるために自由出品が基本。作品に対する審査や評価は行われません。作品を評価するのは来場者であるとされました。

ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホ、ムンクなど、同時に芸術界の異端児を数多く輩出。このアンデパンダン展でキュビズム革命が世界に発信され、広く知られるようになりました。

一室にてキュビストの作品を独占的に展示

アンデパンダン展でキュビストたちがとった方法が、会場の一室をすべて彼らの作品で占拠することでした。当時のメインストリームとは大きく異なる作品群に来場者は度肝をぬかれました。

当時の批評家たちはキュビズムの作品群を酷評。今でいう「炎上」騒ぎとなりました。それは詩人であるアポリネールらが意図的に仕掛けたもの。あえて炎上させることで、キュビズムの知名度をあげようとしました。

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アポリネールの意図通りキュビズムの展覧会は大炎上。芸術サロンの大御所が批判演説をする騒ぎになった。非難を巻き起こすことで作品を世に広める方法は現代のSNSの手法に通じるものがある。

「キュビズム」は3つの時代に区分される

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キュビズムはひとつの芸術運動ですが、スタイルの変化により「初期」「分析的」「総合的」という3つの時期に分けることができます。

セザンヌに影響を受けた初期のキュビズム

『アビニョンの娘たち』をきっかけに、ピカソとブラックはモノのかたちを単純化していきます。立方体のような形を組み合わせて人物などを表現。キュビズムの基本を確立します。後期印象派で独自のスタイルを追求したポール・セザンヌの影響が見られることも、初期のキュビズムの特徴です。

対象を分析・解体する分析的キュビズム

1909年以降、描かれるモノはさらに解体されていきます。それが分析的キュビズム。作品の遠近感は完全に失われ、モノは平面化されていきます。分析的キュビズムは、特に解釈が難しい時期と言われ、何を描いているのか分からない作品もあらわれました。

コラージュの技法を取り入れた総合的キュビズム

1912年ころになると、分析的キュビズムの難解さの反動から、鑑賞者にとっても分かりやすい作品が増えてきます。この時期のキュビズムは、色彩がカラフルになり、コラージュの手法も取り入れられました。商業デザインの萌芽が見られるのもこの時期の作品です。

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その後、キュビスムの中心人物であるピカソが古典的な芸術に回帰。キュビズムのブームは終焉を迎える。一方ブラックも、第一次世界大戦から戻ったあと創作活動を続けるが、落ち着いた作風になっていった。

ロシアの芸術革命に多くの影響を与えた「キュビズム」

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By El LissitzkyA-Pesni.org, Public Domain, Link

ヨーロッパにおけるキュビズムの流行は1920年代になると終わります。しかしその手法は、1917年の革命後のロシアに引き継がれました。キュビズム風の革命を宣伝する斬新なポスターデザインは、芸術界に大きなインパクトを与えました。

1917年のロシア革命と共に発展

1917年にロシア革命が勃発。長らく続いたロマノフ王朝は消滅します。ロマノフ王朝時代の豪華で耽美な芸術は一掃され、鮮明な色彩と幾何学を特徴とする新芸術が立ち上げられました。

ロシア革命後の芸術はプロパガンダ。民衆の思想や行動を方向づける宣伝でもありました。キュビズムを特徴づける幾何学性は、革命のエネルギーを表現するために応用されていきます。

対象の記号化・幾何学化・立体化が特徴

ロシア革命後に活躍した芸術家たちは、徹底的に対象を記号化・幾何学化・立体化していきます。キュビズムの手法をさらにシンプルにして、メッセージ性を加えたのがロシアの芸術革命と言えるでしょう。

ロシア・プロパガンダの特徴は、メッセージを読み解く作業を鑑賞者にゆだねている点。ロシア革命は、民衆の革命と位置づけられています。鑑賞者の行動を促すことが、芸術の役割であると考えられました。

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現在、キュビズムの作品の人気は相当なものだ。同じくロシア革命期の芸術も人気が高い。ロシア革命のイデオロギーの好き嫌いは別にして、その時期のプロパガンダ芸術のデザインは「かっこいい」と感じられるものだ。

「キュビズム」は対象を再現する技法の一大実験

当時の芸術界は、モノをありのままに再現する手法が、影響力を持っていました。キュビズムは、そんな芸術界の「常識」に一石を投じることになります。モノを立体化する、平面化する、記号化することで、遠近法のルールに従う芸術に異議を申し立て、世界的に話題となりました。同時にキュビズムの斬新で力強いデザイン性は、ロシア革命後のプロパガンダ芸術にも取り込まれていきました。私たちが出会う現代アートや商業デザインのなかに、キュビズムの影響を発見することも可能。身の回りにあるものを注意してみてみると、キュビズム的な手法を発見できるかもしれません。

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