幕末日本史歴史江戸時代

ペリーが江戸幕府に開国を要求した事件「黒船来航」を歴女がわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ、今回は黒船来航を取り上げるぞ。黒船来航以後、幕末が始まったんだが、どんなことだったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを幕末、明治維新が大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、幕末、明治維新には興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、黒船来航について5分でわかるようにまとめた。

1-1、黒船来航(くろふねらいこう)とは

嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と称して江戸湾奥深くまで侵入。結果として、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を許可し、アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年には日米和親条約が締結。

この黒船来航事件から明治維新までが、幕末と呼ばれるように

2-1、黒船来航の背景

なぜ黒船を日本へ送り込み、あれだけ強引に開国を迫ったのかという、アメリカ側の事情についてご紹介しますね。

2-2、産業革命の影響で、日本近郊で捕鯨が盛んに

19世紀の西ヨーロッパ諸国はちょうど産業革命の時代となり、様々な機械が発明、工場で大量生産された工業品の輸出拡大のために、インド以西の東南アジア、中国大陸へ市場拡大を求めることに(これがのちに植民地獲得競争に発展)。

この市場拡大については、海軍力を誇り産業革命でも一歩先を行ったイギリスが優勢で、インドや東南アジアに拠点を持っていなかったアメリカ合衆国が出遅れていたということ。

そして機械稼働の潤滑油、ランプの灯火用として、マッコウクジラの鯨油の需要が高まったために、クジラが多く生息する太平洋の日本近辺への捕鯨が盛んに。

アメリカ東海岸を基地とした捕鯨船は、1年以上の遠洋航海を行うのが普通で、また当時の捕鯨船は船上で鯨油抽出を行うために大量の薪や真水を必要に、そこで乗組員のための食料や水の補給はもちろんのこと、難破船や漂流民保護についての問題も重要で、アメリカは太平洋での補給拠点として、早期の日本の開国と条約締結を求めていたということ。

アメリカは1833年、シャム(タイ)などの条約を締結、1835年には日本と清との条約締結で特使を派遣するために東インド艦隊を設立。アヘン戦争後の1842年、清との間に望厦条約(ぼうかじょうやく)を締結し、中国市場へ進出。この条約の批准のため東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが清に派遣。ビドルは日本とも条約交渉するために1846年、浦賀に来航したが、浦賀奉行が拒否。このときは数日の滞在で浦賀から退去したということ。

2-3、米墨戦争でカリフォルニアを獲得

アメリカ合衆国は最初から今のように北米大陸の西海岸、太平洋側まで領土があったのではなく、1776年に独立したときは東海岸の13州のみだったが、1846年にイギリスとの交渉でオレゴンの南半分を領土とし、1846年から1848年のメキシコとの米墨戦争でカリフォルニアを獲得。そこでアメリカの領土は太平洋に到達したため、巨大市場の清国との貿易開拓が国家目標に。

そういう理由で中国との航路の途中にある、津軽海峡に面した松前(実際に開港したのは箱館)への補給拠点が必要に。

2-4、ペリー来航以前の来日アメリカ人

アメリカ人が日本に来航したのはビドルやペリーが最初ではなく、寛政3年(1791年)に冒険商人ジョン・ケンドリックが2隻の船ととも渡航、紀伊大島に上陸したのが日本を訪れた最初のアメリカ人。

その数年後には、オランダがフランスに占領中、数隻のアメリカ船がオランダ国旗を掲げて出島で貿易を行ったとか、天保8年(1837年)には、アメリカ商人チャールズ・キングが、商船モリソン号で音吉など漂流民を日本に送り届けるため浦賀に渡航したが、異国船打ち払い令で日本側がモリソン号を砲撃した事件が。

弘化2年(1845年)には捕鯨船マンハッタン号が22人の日本人漂流民を救助し、船長が浦賀への入港を許可され浦賀奉行と対面、またアメリカの捕鯨船が漂着して乗組員が救助され、迎えの船が着たりという出来事が毎年のように起こっていたということ。

3-1、アメリカ合衆国、遣日特使を派遣

嘉永4年(1851年)4月、アメリカのフィルモア大統領は、日本の開国と通商関係を結ぶために東インド艦隊司令官の代将ジョン・オーリックを遣日特使に任命し、6月8日に蒸気フリゲート艦サスケハナ号で極東に向かって出発。

しかし、オーリックはサスケハナの艦長とトラブルを起こして解任され、翌年2月、代将マシュー・カルブレース・ペリーが特使に

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