この戦争は最大にして最後の宗教戦争と呼ばれていて、旧教カトリックと新教プロテスタントの戦争が次第にヨーロッパの覇権をかけての戦いとなった戦争なんです。
それじゃあ詳しくはヨーロッパ史に詳しい歴女のまぁこと一緒に解説していきます。
- 1 三十年戦争とは?
- 1-1 ハプスブルク家一の変人ルドルフ
- 1-2 アルチンボンドの肖像画
- 1-3 野心家マティアス
- 1-4 兄から冠を奪ったマティアス
- 2 カトリックとプロテスタントの対立から戦争が始まることに
- 2-1 窓外放擲事件
- 2-2 ボヘミア・プファルツ戦争
- 2-3 戦争の結末
- 3 デンマーク・ニーダーザクセン戦争
- 3-1 侵攻する皇帝軍
- 3-2 ヴァレンシュタインとは?
- 3-3 再カトリック化を目指し勅令を出す
- 4 スウェーデン戦争
- 4-1 ヴァレンシュタインの罷免
- 4-2 スウェーデン戦争勃発
- 4-3 ヴァレンシュタインの裏切り
- 5 ヨーロッパの覇権をかけて フランス・スウェーデン戦争
- 5-1 フランスの直接介入
- 5-2 長引く戦争
- 6 ウェストファリア条約
- 6-1 2つの条約からなるウェストファリア条約
- 6-2 条約の内容
- 宗派の対立だけではなかった三十年戦争
この記事の目次
ライター/まぁこ
ヨーロッパ史が大好きなアラサー歴女。特に名門ハプスブルク家に関する書籍を愛読中!今回はオーストリア・ハプスブルクとスペイン・ハプスブルク家が参戦した三十年戦争について解説していく。
1 三十年戦争とは?
image by iStockphoto
三十年戦争が起こった背景には神聖ローマ帝国内の宗教対立がありました。更に宗教対立の他に皇帝ルドルフ2世と弟マティアスの権力争いも絡むことに。ここでは三十年戦争の背景について見ていきましょう。
1-1 ハプスブルク家一の変人ルドルフ
ルドルフ2世とは、オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝となった人物。そしてハプスブルク家一の変わり者として有名です。ルドルフは政治に無関心で宗教にもあまり関心を示さず、ウィーンからプラハに移って美術品のコレクションに明け暮れることに。
当時の貴族らは、大航海時代の影響から多くの美術品(宝飾品や昆虫標本、中には動物の内臓など)をコレクションしていました。ルドルフは最大のコレクターとして有名で、オカルト皇帝と称されることも。
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1-2 アルチンボンドの肖像画
ジュゼッペ・アルチンボルド – LSH 91503 (sm_dig7869), パブリック・ドメイン, リンクによる
これは1591年に描かれたアルチンボンドの「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ」。この絵画では花や果物などの植物を配置して人の肖像画を表す「合成人面像」という技法が用いられています。しかも単に彼は植物を配置したのではなく、意味(例えば林檎は知恵を、百合なら清浄、玉ねぎなら不死をという具合に)がありました。ちなみにタイトルのウェルトゥムヌスとは、季節を司る神のこと。季節が変わっていくことを、この神が変身して様々な姿に変わったことから、この絵画はウェルトゥムヌスがルドルフに姿を変えた瞬間を描いたものでした。
ルドルフはこのアルチンボンドを重用したことでも知られています。ルドルフは彼に貴族の称号を与え、画家としてだけでなく、祝祭の演出も手掛けさせていたそう。これはスペイン・ハプスブルク家の宮廷画家だけでなく官吏となったベラスケスと似ていますね。
1-3 野心家マティアス
時の皇帝が自身の知識欲を満たしている間も帝国内の問題は山積状態。帝国内ではカトリック勢力とプロテスタント勢力の対立が深刻化しており、また異教徒のオスマン帝国と争いもありました。しかし晩年のルドルフは鬱状態となることに。
1607年には極秘会議が開かれ、健康不安のあるルドルフの代わりに弟のマティアスを宗主とすることが決定。弟のマティアスは、ハンガリーの総司令官を務めており兄とは違って野心家でした。宗主となって4年後には実権を握ることに。この時にマティアスはプロテスタント側に味方してもらったため、プロテスタント勢力が勢いつきましたがカトリック勢力からは不信感が募るように。
1-4 兄から冠を奪ったマティアス
その後ルドルフは弟にプラハ城に軟禁されることに。ルドルフは1612年に60歳でひっそりとこの世を去りました。マティアスは兄の死後、神聖ローマ皇帝選挙に勝利し、皇帝となることに。しかしそこでもプロテスタントの選帝侯に頼ったことで、更にカトリック側から不信感が募り、彼の威信はかなり低下することに。
兄を皇帝から引きずり下ろしたマティアスでしたが、彼自身にも健康問題が。マティアスは結婚していましたが、子どもがいなかったため後継者問題が浮上することに。そこでルドルフとマティアスの従弟のフェルディナントが選ばれることに。マティアス自身はこの決定に不服でしたが、フェルディナントにハンガリーとチェコの王位を譲らざるを得なくなることに。これによってこれまで情勢が不安定となっていたボヘミアがフェルディナントの即位によってより悪化する事態を招きました。
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