日本史

最強・バルチック艦隊を撃破した「日本海海戦」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

日本が勝利するための必須条件

準備万端とした日本は日露協商を破綻させ、1904年にロシアに対して宣戦布告したことで日露戦争が始まりました。日本海海戦に至るまでには様々な戦いが起こり、またその様々な戦いが日本海海戦に関係してきます。日露戦争は日本とロシアの戦争ですが、戦いの主な舞台となったのは満州南部や遼東半島でした

戦争開始直後、日本は韓国を自身の影響下に置き、また朝鮮の確保にも成功して幸先の良いスタートを切るものの、日本にとって本番はここからです。ロシアの重要補給地点となっている旅順、日本が戦争に勝利するためには絶対にこの場所を占領する必要がありました。

日本は作戦として旅順港を封鎖してロシアの補給手段を断ち切ろうと考えますが失敗。しかもロシアが誇る世界最強艦隊であるバルチック艦隊が旅順に向かっているとの情報を得たため、その前に旅順を占領しようと総攻撃を決断、しかしこの総攻撃も失敗してしまいます。

乃木希典の狙い

そもそも旅順は要塞のごとく攻略が難しく、そのため総攻撃によって大量の戦死者を出してしまう始末でした。とは言え、勝利のためには旅順の占領は必須であり、そこで軍人の乃木希典は旅順の近くに見える203高地と呼ばれる丘に目をつけ、戦死者を増やしながらも何とか203高地の確保に成功します。

こうまでして乃木希典が203高地に狙いを定めたのは、地形の高さが理由です。丘である203高地は旅順と比較して地形が高く、そのため確保に成功すれば上から旅順を砲撃できるようになり、確実に有利に戦闘を進められます。そして、そんな乃木希典の作戦は見事に成功しました。

丘の上からの砲撃は要塞と化した旅順の攻略も可能にさせ、ロシア軍の降伏によってとうとう日本軍は旅順を占領したのです。ただそのために被害は大きく、日本軍だけで60000人もの戦死者を出す事態となり、乃木希典の息子達もその中に含まれていました。

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地形の高低差を利用した乃木希典の見事な作戦で、日本は旅順の占領に成功した。ちなみに余談だが、与謝野晶子の弟もこの旅順の戦いに参加しており、「君死にたまふことなかれ」はそんな弟に向けて作られた詩だ。

ロシアの切り札・バルチック艦隊

image by PIXTA / 22473136

60万人が戦った奉天会戦

旅順を占領したことで、例えバルチック艦隊が旅順港にやってきてもそこは日本軍だらけ……ロシア軍への補給はできません。俄然有利になった日本は次に満州確保を目的として、24万人もの大軍を投入して奉天に攻め入ります。奉天もまたロシア軍の拠点であり、当然反撃してきたためここでも戦闘が起こりました。

これが奉天会戦と呼ばれるもので、ロシア軍はここで予備軍まで投入して日本軍を攻撃します。ロシア軍の猛攻に崩壊寸前となった日本軍でしたがなおも前進、そのためロシア軍の司令官もついには撤退を指示。日本軍は奉天の占領に成功しましたが、撤退はさせただけで撃破はできず、戦争の決着には至りませんでした

奉天会戦に参加したのは日本の陸軍24万人とロシア軍36万人、両国あわせて60万人が戦った奉天会戦は世界史上でも稀に見る大規模な会戦と言われています。この時、アメリカのルーズベルト大統領が日本の依頼を受けて和平交渉を始めますが、これに対してロシアは拒否しました。

ロシアのバルチック艦隊への期待

旅順を占領され、奉天も占領されたロシアは戦況から判断して明らかに劣勢、それでも和平交渉を望まなかったのはロシアにはまだ切り札があったからです。その切り札とは当時最強と謳われたバルチック艦隊、しかしバルチック艦隊は旅順には現れず、今度はウラジオストクに入港するとの情報が入ります。

既に陸軍はお互い消耗しきっていて作戦継続が困難な状態。しかしバルチック艦隊の入港を許せばロシア軍に補給が入るため、日本は連合艦隊を使って日本海にてバルチック艦隊と戦うことを決断します。こうして起こる戦いが日本海海戦であり、つまり日本海海戦は日露戦争の勝敗を決める戦いにもなったのです。

日本の連合艦隊の艦長である東郷平八郎は、バルチック艦隊に勝利するための策を考えます。バルチック艦隊は確かに強く、もしかすると本来の力を発揮できていれば日本の連合艦隊も敗れていたかもしれません。しかし実際に勝利したのは日本の連合艦隊で、その勝因の一つに挙げられるのが日英同盟の成立でした。

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shintomoyui0311