
2-1、ヘンリー8世、アンに言い寄る
アンが再び宮廷に戻り、宮廷に出入りする詩人のサー・トマス・ワイアットがアンに詩を作ったりして接近、求婚。
そしてアンは同時にヘンリー8世にも愛人になるよう迫られたが、アンはヘンリー8世が同僚の侍女たちをもてあそぶところも、特に姉妹のメアリーとの愛人関係などもよく知っていたせいか、正式に王妃にしないとベッドを共にしないと言い張ったということで、ヘンリー8世はアンが跡継ぎの王子を生んでくれるのではという期待とともに、アンのことしか目に入らなくなったそう。
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2-2、ヘンリー8世の事情
Attributed to Joannes Corvus – NPG, パブリック・ドメイン, リンクによる
ヘンリー8世はアンと知り合った当時は30代後半の壮年。2歳上の王妃キャサリンは、カスティラ女王イザベラとアラゴン王フェルディナンドの末娘で、姉ファナがハプスブルグ家のフィリップと結婚して生まれた神聖ローマ皇帝カール5世らが甥になるという、ヨーロッパ外交には欠かせない重要な家柄の出身。
キャサリンは最初にヘンリー8世の兄アーサー王太子と結婚、一年後にアーサー王太子が死亡。そこで、キャサリンの膨大な持参金を返したくないアーサー皇太子の父ヘンリー7世は、キャサリンとアーサーの結婚を無効として、自分かアーサーの弟で次男のヘンリー8世とキャサリンとの再婚を画策、ローマ教皇に願い出て結婚無効が認められてヘンリー8世と結婚した経過あり。
キャサリンは有能な女性でヘンリー8世と結婚後、政治の助言も行ったが、何度も流産と夭折でメアリー王女一人しか育たず、この頃はまだ女王が即位しなかったため、ヘンリー8世は後継ぎの王子が欲しかったということ。
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2-3、ヘンリー8世、離婚に向けて動く
ヨース・ファン・クレーフェ – Royal Collection, パブリック・ドメイン, リンクによる
カトリック教会は離婚を認めていなかったが、結婚そのものが無効であったという「結婚無効」の認可を与えて事実上の離婚を可能にする方法が存在。
しかし、ヘンリー8世とキャサリン王妃の場合は、すでにヘンリーの兄アーサーの妻だったことを結婚無効にし、教皇ユリウス2世から教会法規によって特免を得て合法的な結婚と許可を受けた過去があったため、この方法が通用せず。
また、キャサリンの甥の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)も国際関係を考慮して反対したために教皇庁は許可を出しにくいうえに、キャサリン王妃はイギリス国民の間でも尊敬され人気が高かったこともあって国内からも反対の声が大きかったそう。
しかし何でも自分の思い通りにしたい暴君のヘンリー8世は激怒して、ローマ教皇庁との断絶を決意。ここでイギリス国王が首長のイギリス国教会の原型が成立することに。そして国王至上法で、イギリス国内では国王が宗教的、政治的な最高指導者と宣言、ヘンリー8世は1533年5月にアンを正式な王妃に。
尚、これに反対した大法官のトーマス・モアは反逆罪で処刑され、カトリックの修道院は解散、反対した多くの修道士が処刑となり、修道院の領地や財産は王室財産としてヘンリー8世が没収することに。