室町時代戦国時代日本史歴史

秀吉お得意の戦術「日本三大水攻め」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今日は日本三大水攻めについて勉強していくぞ。戦国時代の戦いの中では様々な戦術が用いられ、その中でも有名なのが水攻めであり、豊臣秀吉が行ったものが歴史に残っている。

それは日本三大水攻めと呼ばれるもので、備中高松城の戦い、太田城の戦い、忍城の戦いが該当する。そこで、今回は日本三大水攻めについて日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から日本三大水攻めをわかりやすくまとめた。

信長に仕えた秀吉

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戦国時代の始まり

1467年の応仁の乱以降、日本は武力によって権力を手にする戦国時代へと突入します。その中では下位の者が上位の者を破る下剋上も起こり、名ばかりの地位だけでは権力を維持できない時代になりました。そうなると力を落としてしまうのが幕府であり、足利将軍家は徐々に衰退の道を辿っていきます。

そして、将軍の権力が低下する一方で名を上げてきたのが戦国武将、最初にその名を世間に知らしめたのは織田信長で、信長は室町幕府を滅ぼして天下統一を夢に戦い続けました。そんな信長のもとには当然多くの家臣が存在していて、その中の一人が豊臣秀吉です。

最も、「豊臣」の姓は秀吉が朝廷の関白に任命された頃に賜ったものですから、当時は「豊臣」ではなく「木下」や「羽柴」と名乗っていました。農民出身と呼ばれる秀吉は信長の小者(雑用役)として仕えるようになりますが、その中で信長に信頼される立場にまで出世していきます。

毛利氏攻略の任務

例えば、1570年には朝倉義景の討伐に出陣した信長が、突如仲間に裏切られて朝倉義景の軍と挟み撃ちされる事態が起こりました。この時、秀吉は敵の軍を引きつけてその間に信長を退却させるという難しい任務に成功、この功績を認められた秀吉は長浜城の城主となっています。

また、1577年には信長の家臣である松永久秀の謀反に対して、松永久秀の討伐に参加して自害に追い込む活躍も見せました。こうした出来事を経る中で信長は秀吉を信頼するようになっていき、また秀吉も信長の家臣としての地位を高めていったのです。

時は過ぎて1582年、勢力を伸ばし続ける信長は念願の天下統一まであと一歩のところまで迫ります。そして、その一手として中国地方の毛利氏攻略を決断した信雄は、秀吉にその役目を与えました。その戦いによって日本三大水攻めの最初の戦いが起こり、また信長にも思わぬ運命が待ち受けていたのです。

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戦国時代が始まり、信長がその名をとどろかせるようになる。そして、信長に仕えていた秀吉は家臣としての地位と信頼を高め、やがて中国地方の毛利氏攻略を任された。こうして起こる秀吉と毛利氏の戦いが、日本三大水攻めの一つ目だ。

日本三大水攻め ~備中高松城の戦い~

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智将・清水宗治の籠城戦

1582年の備中高松城の戦い、これが日本三大水攻めの一つ目となる戦いです。30000人もの軍勢を率いる秀吉は兵力の差でこそ毛利軍を遥かに上回っていたものの、そこに立ちはだかった備中高松城主である清水宗治が展開した籠城戦に思わぬ苦戦を強いられます。

清水宗治の兵力はおよそ5000人、しかし智将として知られた清水宗治の戦術はさすがの一言で、籠城した上での激しい抵抗によって秀吉は攻めきれずにいました。そして、秀吉のそんな苦戦を知った信長は秀吉に対して一日も早い攻略を指示、そこで黒田官兵衛が秀吉に提案した作戦が水攻めです。

黒田官兵衛は秀吉にとって旧知の仲であると同時に軍師たる存在。そのため、黒田官兵衛の提案する作戦はいずれも秀吉が納得するものであり、秀吉はそれに従って備中高松城に籠城する清水宗治の軍攻略において、水攻めの作戦を決行します。その水攻めこそ、日本三大水攻めに数えられる一つでした。

備中高松城の水没

水攻めとは周辺が川などの水に囲まれた場所において、堤防の決壊や堤防を築くなどして川の流路を意図的に変えて城を水没させる作戦です。何もせず包囲するだけの兵糧攻め以上に相手の士気を低下させる効果があり、士気の低下した相手の降伏を誘う策略として知られていました。

ただ水攻めは決して万能な策ではなく、なぜならリスクの高さもあるからです。堤防を壊すにしても築くにしても敵に発見される恐れがありますし、そうなってしまえば敵に妨害されるどころか攻撃を受けてしまうため、さらに膨大な労力も考慮してあまり採用されない作戦でした。

しかし、秀吉は現地に住む農民や建築者の集団をうまく利用して水攻めに成功。見事に備中高松城を水没させて水攻めを成功させたのです。つまり、日本三大水攻めの一つ目となる備中高松城の戦いでは、水攻めの作戦は成功に終わりました。最も、清水宗治もこれで降伏することはせず、依然抵抗を続けます。

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日本三大水攻めの一つ、それが備中高松城の戦いで、水攻めの作戦は成功している。ただ、これで毛利軍の清水宗治を降伏させられたわけではなく、備中高松城の戦いのさなかで本能寺の変が起こり、それがこの戦いの結末に影響するぞ。

信長の死

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