
柳条湖事件と満州事変
石原莞爾の考えのもと、中国軍と戦って満州を占領したい関東軍。しかし、ただ占領することを目的に軍事行動を起こせばそれはただの侵略行為になってしまい、関東軍は自らの首を絞める結果になってしまうでしょう。逆に言えば、関東軍は戦う理由さえあればすぐにでも中国軍に対して軍事行動を起こして満州を占領したいと思っていました。
そこで、関東軍はその戦う理由を自作自演によって作ってしまいます。1931年、南満州鉄道鉄道の一部が爆破される事件が起こり、関東軍はこの犯人を中国軍と断定しました。しかし、この柳条湖事件の真犯人は関東軍であり、関東軍は中国軍の仕業とすることで軍事行動を起こすきっかけに利用したのです。
こうして起こったのが満州事変、関東軍は中国軍を倒して満州全土の占領に成功。それどころか、そこに満州国と呼ばれる国まで勝手に建国する始末、もはや政府ですら制御できないほど暴走してしまいます。その影響で次々と内閣が総辞職となる中、ついには斎藤実内閣が満州国を承認して関東軍の行動を正当化してしまうのでした。
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日本の利権を追求した末の関東軍の暴走は、意外にも日本国民からは支持された。これは当時日本が世界恐慌の影響で深刻な不況に陥っていたためで、外交が頼りない政府に比べて関東軍の行動は日本を変えてくれると期待したからだ。
ノモンハン事件での敗北
関東軍の暴走はもはや政府でも止められず、止められるとすれば関東軍が戦いで敗北した時でしょう。そして、関東軍が敗北するそんな戦いはやがて起こり、それは1939年の満州国とモンゴルの国境付近で起こったノモンハン事件でした。1939年は第二次世界大戦が始まった年ですが、これと同じ頃に日本はソ連と戦っていたのです。
ノモンハン事件とは、簡単に言えば満州国とモンゴルとの間に起こった国境問題なのですが、ここでポイントなのが「満州国=日本の傀儡国家」であり「モンゴル=ソ連の傀儡国家」という点。つまり満州国とモンゴルの争いは、日本とソ連の争いであることを示します。
争いの中、満州国に駐屯中の関東軍はまたしても独断で戦線を広げていき、その結果ソ連の攻撃を受けてほぼ壊滅状態に陥りました。もちろん日本も「関東軍の暴走」で片づけられる問題ではなく、ソ連に対してこれ以上戦闘を続行するのは不可能と判断、後日モスクワにて停戦協定を締結させるに至っています。
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太平洋戦争の始まり
ノモンハン事件で力が弱まった関東軍は太平洋戦争の終盤で崩壊することになりますが、その解説のためノモンハン事件が起こった2年前……すなわち1937年まで時間を戻します。1937年に日本は中国と日中戦争を起こし、この戦争では開戦当初においては日本が優勢でした。
しかし、戦争が続く中で中国はイギリスやフランスから援助を受け、そのため戦況が変わりつつあり日本も押されるようになっていきます。最も、日中戦争は関東軍が独断で起こした戦争ではないため、むやみな軍事行動を暴走と表現するなら、この頃は日本軍も暴走していると考えて良いでしょう。
日中戦争で形勢逆転しつつある戦況を変えるため、日本はドイツ・イタリアと同盟を締結させるなどの行動に出ますが、こうした日中戦争での日本の行動がアメリカを怒らせてしまいます。その挙句に起こったのがアメリカとの太平洋戦争であり、日本は第二次世界大戦に巻き込まれていきました。
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