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満州事変を起こした暴走部隊「関東軍」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

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要するに、関東軍は戦争のためではなく手に入れた海外の租借地を守るために作られた。つまり関東軍は派遣部隊だが、こうしたケースは当時の日本において稀ではなく、朝鮮軍や台湾軍や支那派遣軍なども存在するぞ。

関東軍の独断行動

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関東軍の立場と権力

関東軍は日本軍から分かれて作られた軍になりますが、ここで日本軍と関東軍の違いをまとめてみましょう。日本軍は文字どおり日本の軍隊を示していて、その頂点に立つのは天皇であり、その下についたのが陸軍大臣と海軍大臣。そして、軍の指揮を任されていたのは参謀総長です。

一方、関東軍は日露戦争で獲得した租借地を守るために派遣された軍を示していて、頂点に立つのは司令官であり、その下に参謀長がついていました。関東軍の「関東」とは関東地方の意味ではなく、山海関と呼ばれる関所よりも東側に軍が設置されたことがその名の由来になっています。

さらに権力や立場を比較すると「日本軍>関東軍」となるため、つまり関東軍は日本軍の配下ということになりますね。最も、これは頂点に立つ存在で比較すれば一目瞭然で、仮に関東軍が日本軍より立場が上なら、日本で最も偉い存在であるはずの天皇が日本軍の頂点に立つのは矛盾してしまいます。

中国の情勢変化に対する危機感

南満州鉄道や関東州を守っていた関東軍は、やがて中国の情勢の変化に危機感を抱くようになっていきます。1911年の辛亥革命をきっかけに分裂状態となっていた中国、しかし1920年代に入ると中国国民党のリーダー・蒋介石が勢力を高めていき、蒋介石は中国全土を統一しようとしていました。

仮に蒋介石が中国全土の統一に成功すれば、満州での日本の利益も奪われてしまう……そう危機感を抱いた関東軍は満州を支配していた張作霖を蒋介石の対抗馬に当てようと考えます。しかし、張作霖は欧米諸国との関係を優先するようになり、挙句の果てに蒋介石率いる中国国民党に敗れてしまいました。

こうなると張作霖は関東軍にとってもはや用済みの存在。とは言え、このような理由で日本の政府が張作霖の殺害を許すはずはなく、そのため関東軍は独断で張作霖を列車ごと爆殺するという暴挙に出たのです。これが1928年の張作霖爆殺事件であり、勝手に軍事行動を起こした関東軍の行動は当然逆罪にあたるものでした。

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蒋介石の進出は関東軍に危機感を抱かせ、それは中国全土の統一によって満州での日本の利益が失われると思ったからだ。そこで蒋介石を阻止しようと張作霖を立てるが結果的には失敗、もはや用済みの張作霖を関東軍は独断で爆殺した。

満州事変の発生

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満州を手に入れたい関東軍

関東軍が独断で起こした張作霖爆殺事件の情報は当然日本政府に伝わります。明らかな憲法違反をおかした関東軍参謀・河本大作大佐には処分が下されますが、その処分とは「停職」という非常に軽いものでした。そして、この処分に納得できなかったのが日本の頂点に立つ天皇で、昭和天皇は当時の首相・田中義一を叱責して総辞職させたのです。

成果の有無だけで考えても、張作霖爆殺事件は大失敗に終わります。なぜなら、張作霖の後を継いだ息子の張学良は日本を恨むようになり、対立勢力であるはずの蒋介石の味方についてしまったからです。つまり、関東軍の行動は蒋介石を阻止するどころか逆に力を高めさせてしまい、日本の権益もより危なくなりました。

ただ、これで反省する関東軍ではありません。新たな参謀として就任した石原莞爾はこれまた過激な考えを持つ人物で、石原莞爾はやがて日本は東洋の代表として西洋の代表であるアメリカと戦争することを予言。そして、アメリカとの戦争に勝利するためには満州を手に入れなければならないと考えていたのです。

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shintomoyui0311