日本史歴史江戸時代

大奥を作りあげた3代将軍家光の乳母「春日局」を歴女がわかりやすく解説

今回は春日局を取り上げるぞ。3代将軍の乳母だって、どんな人だったか詳しく知りたいよな。

その辺のところを江戸時代も大好きなあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っている歴女、江戸時代にも興味津々。例によって昔読んだ本を引っ張り出しネット情報で補足しつつ、春日局について5分でわかるようにまとめた。

1-1、春日局は丹波の生まれ

image by PIXTA / 56254116

春日局(かすがのつぼね)の本名はお福。春日局とは、後年、御所に参内したときに天皇から賜った名前。

天正7年(1579年)丹波国の黒井城下館(興禅寺)で誕生。出生地については光秀の居城のあった丹波亀山城(京都府亀岡市)や坂本城(滋賀県大津市)などの異説もあり。

父は美濃国の名族で守護代だった斎藤氏の出身で、明智光秀の重臣の斎藤利三(としみつ)、母は稲葉良通(一鉄)の娘安、または稲葉一鉄の姉の娘於阿牟といわれ、春日局の母は利三の後室。きょうだいは、兄が3人、姉が2人。

1-2、春日局は名門の出身

春日局の母の父は稲葉一鉄といい、頑固一徹の語源となった人で、妻は公家の三条西公条(きみえだ)の娘。また一徹の姉深芳野は、最初は頼芸の側室のちに斎藤道三の側室となり義龍を産んだ女性。稲葉一鉄は、斎藤道三に仕えた西美濃三人衆のひとり。

そして春日局の父斎藤利三(としみつ)は、美濃守護代を代々務めた武家の名門で、守護代斎藤氏の滅亡後斎藤家は明智光秀に仕官。春日局は、幼少時は城主の姫として育ったそう。

1-3、春日局の父、本能寺の変に加担して処刑

 春日局が4歳の時、本能寺の変が勃発、その後の山崎合戦で父斎藤利三は羽柴秀吉軍に敗れたのち、坂本城下の近江国堅田で捕らえられ京都の六条河原で処刑。

春日局は父の処刑される現場を目撃したということで、兄たちは落ち武者となって各地を流浪。春日局は母方の実家の稲葉家に引取られ、美濃の清水城で過ごしたとか、延暦寺に住んだとか、父の友人海北友松、東陽院長盛らの援助を受けたとか、父の妹が嫁いだ土佐の長宗我部元親を頼っていったとか諸説あり。

また母方の親戚の公卿の三条西公国に養育されて、後々役に立つ書道、歌道、香道等の教養を身につけたということ。

\次のページで「1-4、春日局、稲葉正成と結婚」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: