紀伊太田城の水攻め
備中高松城の戦いで秀吉が行った備中高松城の水攻めは日本三大水攻めの一つに数えられており、他の二つは紀伊太田城の水攻めと武蔵忍城の水攻めです。紀伊太田城の水攻めを行ったのも秀吉で、これは1585年の紀伊攻めの際に用いられました。
当時秀吉軍は60000人もの軍勢で和歌山に入りますが、抵抗した根来衆らは4000人で籠城します。備中高松城の戦いの時と同様、やはり兵力において雲泥の差があるものの、籠城する敵に対して兵糧攻めは時間がかかると判断、秀吉ここでも水攻めの作戦を指示しました。
もちろん、備中高松城の戦いでの成功例も考慮したでしょうが、何よりこの太田城の周囲は水路が巡らされており、そのため秀吉は水害に弱いと睨んで水攻めを展開したそうです。しかし、水圧の変化によって豊臣軍が築いた堤防も一部決壊、ただこうした問題にも冷静に対処してたった5日間ほどの工事で修復しています。
武蔵忍城の水攻め
武蔵忍城の水攻めは、1590年の忍城の戦いで行われた作戦です。これは秀吉が小田原を攻めた際に起こりましたが、ただ武蔵忍城の水攻めを実際に行ったのは秀吉ではなく石田三成でした。小田原攻めにおいて唯一落とせなかったのが忍城、そこで秀吉はここでも水攻めを指示します。
忍城は湿地帯に位置する城であり、川や沼の水堀りに囲まれていました。おそらく、秀吉は湿地帯に位置しているという点から水攻めが効果的だと考えたのでしょう。その効果は確かに城を水に沈めることには成功しましたが、本丸を沈ませるまでには至りませんでした。
やがて大雨や敵の妨害によって築いた堤防が決壊、そのため逆に石田三成の軍が水に流されてしまいます。最終的には敵を降伏させて勝利に終わるものの、作戦失敗を叱責された石田三成の評価は急落しました。日本三大水攻めの中で、唯一失敗してしまったのがこの武蔵忍城の水攻めです。
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本能寺の変と山崎の戦いを覚えてより理解を深めよう!
備中高松城の戦いを覚えるポイントは、本能寺の変と山崎の戦いとあわせて覚えることです。備中高松城の戦いのさなか、援軍に向かうはずの明智光秀の謀反によって本能寺の変が起こりました。
また、備中高松城の戦いで秀吉が決着を急いだのは信長の敵討ちのためであり、その末に起こったのが山崎の戦いです。つまり、本能寺の変と山崎の戦いを理解すれば、備中高松城の戦いもより理解しやすくなります。





