この戦いは本能寺の変に関係しており、またその後の山崎の戦いにも関係する。そこで、今回は備中高松城の戦いについて日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。
ライター/リュカ
元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から備中高松城の戦いをわかりやすくまとめた。
毛利氏攻略を任された秀吉
織田信長は本能寺の変で死亡、そのいきさつは援軍として向かった明智光秀が突如京都の本能寺へと進路を変えて奇襲したことですね。この時、明智光秀が援軍として本来向かうはずだったのが中国地方、そしてそこで繰り広げられていた戦いが備中高松城の戦いになります。
近畿地方の平定に成功した信長の夢は全国統一、そこで次の一手として攻略しようとしたのが中国地方一帯を治める勢力を持つ毛利氏でした。信長は毛利氏攻略のための兵を送り込み、ここで大将を任されていたのが羽柴秀吉……彼は後に天下統一を果たす豊臣秀吉です。
中国地方に侵攻した秀吉は味方を増やし、その軍勢は30000人になりました。備中高松城に差し掛かった秀吉軍、しかしここで毛利軍が激しく抵抗して豊臣軍に襲い掛かります。毛利軍の先方として立ちはだかったのは、毛利家の中でも戦術に長けていることで有名な清水宗治で、清水宗治は備中高松城の城主たる人物です。
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黒田官兵衛の水攻め作戦の提案
清水宗治はおよそ5000人の兵力で備中高松城へと籠城、兵力差で比較すれば雲泥の差があると言えるほど秀吉軍が有利でしたが、さすがは戦術に長けた清水宗治。周囲の砦を落として備中高松城を包囲した秀吉、しかし清水宗治の抵抗が激しかったため何度攻めようとしても攻め切れませんでした。
苦戦する秀吉軍、これに対して信長は早々に攻略するよう指示したため、秀吉にとって軍師たる存在だった黒田官兵衛が水攻めによる作戦を提案します。水攻めは文字どおり敵の城を水没させる作戦で、敵の士気を低下させる効果があるものの、その実行は容易なものではありません。
まず周囲の川の進路を変える必要があり、そのため時には堤防を決壊させる、もしくは堤防を築かなければなりません。そこまでの作業となれば当然負担も大きく、また時間もかかるため多大な労力を要します。何より、作戦中に敵に発見されて攻撃される恐れもありました。
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