日本史歴史飛鳥時代

大化の改新との違いは?「乙巳の変」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

大化の改新

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新政府の基盤作り

乙巳の変……すなわち大化の改新の第一幕を成功させた中大兄皇子と中臣鎌足、ただそれだけでは日本を変えることはできません。次に行うべきことは新たな政治体制作りであり、ここからが大化の改新の第二幕の始まりです。蘇我蝦夷が自害した事件のあと、皇極天皇は退位を表明しました。

皇極天皇は弟の軽皇子に譲位、こうして軽皇子は孝徳天皇になります。中大兄皇子は皇太子、中臣鎌足は内臣へと就任して、ちなみに内臣とは天皇の補佐役にあたる役職でした。さらにこれまで最高官職だった大臣と大連を廃止、かわって左大臣と右大臣を新設します。

この時、左大臣に就任したのは阿倍内麻呂、右大臣に就任したのは蘇我倉山田石川麻呂で、新政府の最高顧問として国博士という役職も新設されました。国博士に就任したのは僧旻と高向玄理、天皇を中心とした律令国家を作るための基盤がこうして整えられます。

改新の詔に示された4か条

翌646年、新政府は4つの基本方針を示す改新の詔を発表しますが、それに記された4か条とは次のようなものでした。1つ目に公地公民制、これは土地を私有地にすることを禁止して、全ての土地と人民を天皇のものとする決まりです。ただ、公地公民制についてはその実施の有無が現代になって疑問視されています。

2つ目に国郡制度、これは首都を定めて全国を60以上の国に分けることで、さらにその国を郡に分けました。3つ目に班田収授法、これは戸籍を作った上でその戸籍に基づき、朝廷から人民に対して農業用の土地が貸し与えられるものです。ちなみに、班田収授法は中国が採用していた制度に似ているため、それにならったものではないかとされています。

4つ目に租庸調の税制、これは税金の決まりです。租・庸・調はいずれも税の種類を示しており、人民に対して納税と労働による負担を定めたものになります。今後日本はこの改心の詔に基づいた方針で政治が進められていき、やがて701年の大宝律令の制定によって律令国家が実現するのでした。

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ちょっとした豆知識を紹介しておくと、孝徳天皇が即位した時に日本の元号を大化と定めた。元号を定めたのはこれが初めてであり、つまり大化は日本で最初の元号だ。大化の改新の「大化」とは、元号が由来になっているわけだな。

乙巳の変は大化の改新の第一段階!

乙巳の変のポイントは、やはり大化の改新との区別でしょう。改めて解説すると、乙巳の変とは645年に起こった中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅亡させたクーデターです。この時、実際に暗殺されたのは蘇我入鹿であり、蘇我蝦夷に至っては自害しています。

一方、大化の改新とは蘇我氏滅亡から新政権が作られた政治改革一連の流れを示すもので、乙巳の変は言わば大化の改新の第一段階や第一幕に相当する位置付けです。この区別をしっかり覚えれば、乙巳の変と大化の改新で混乱することはないでしょう。

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shintomoyui0311