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古代ローマ一野心を抱いていた独裁官「カエサル」を戦国通のサラリーマンが徹底解説

よぉ、桜木建二だ。歴史の偉人と呼ばれている人達は、後世に残る言葉を数多く残されていて書物などでも利用されているようだな。そういった言葉の中で賽は投げられたという言葉を残し激動の古代ローマを武力で制圧していた人物がいたようだ。

名前をガイウス・ユリウス・カエサルといい古代ローマで絶大な権力保持者として君臨していた人物について歴史マニアで歴史ライターのwhat_0831と一緒に紹介していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

what_0831

ライター/what

軍人として戦に参加していただけでなく、政治家としての手腕も発揮していたカエサルを紹介していく。

独裁官誕生

image by PIXTA / 12281251

カエサルの生まれた時期はいくつかの説があり学者同士で議論されているようです。

カエサルが生まれた年

カエサルの生まれた年については、二つの説があり一つはローマ伝記作者のスエトニウスが著作した皇帝伝の紀元前100年と古代ローマで法務官をしていた時から逆算して導かれた紀元前102年のどちらかとされています。父は同姓同名だったようでカエサルと区別するために、大カエサルとも呼ばれていました。

父も古代ローマの法務官をしていたようで、最後は行政官として古代ローマに貢献していて母のアウレリア・コリッタで代々執政官を任されていた名家出身の血筋との間に誕生します。カエサル家の家柄についてははっきりとは判明しておらずローマ皇帝群衆像に記載のある四説のどれかとされていました。

一番有力な説がありカエサルはラテン語で切るを意味していることから、アウレリアが亡くなった後に切開して誕生したことが由縁となり名付けられたとされています。

カエサルの語源

1 戦争で像を殺害したことによる由来(像をフェニキア語でカエサイ)

2 母の死後に切開して誕生

3 最初にカエサル家を名乗った人物が毛深かった

4 灰色の瞳をしていた

争いが絶えなかった幼少時代

カエサルが誕生したとする紀元前100年から80年頃は、各地で激しい争いが繰り広げられて敵国との戦いだけでなく市民達が反旗を翻した内戦も発生していました。カエサルがどの様な幼少期を送っていたかは、ローマ著作にも詳しく書かれていないため何に接して何を学んでいたかもはっきりと分かっておりません。

派閥争いにより叔父を亡くす

争いによって国内情勢が悪化していたローマには、民衆が基盤となっている民衆派とローマの統治機関だった元老院を中心とした閥族派の二つ政治派閥が対立していました。民衆派にはマリウスが閥族派にはルキウス・コルネリウス・スッラで、カエサルは民衆派に属していきます。

互いの関係が徐々に悪化していき戦いによって優劣を決めていくことになり、共和政ローマとポントス王国との行われたミトリダテス戦争で両派閥に討伐命令が下っていきました。この命令に納得していなかったスッラは勝手にローマへ帰還。

汚名を晴らすべく奮闘したマリウスがルキウス・コルネリウス・キンナと手を結びローマを制圧するためにスッラの支持者を国家の敵として粛清していきました。しかし粛清した際に閥族派にいたカエサルの叔父にあたるルキウスが犠牲となってしまいます。

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