日本史歴史鎌倉時代

初めての武家法となる「御成敗式目」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

戦国大名による分国法

武士の法律の一つとして挙げられるのが分国法、これは戦国時代に戦国大名が制定したものです。戦国時代において権力など皆無、武力が全てを決める時代であり、下位の者が上位の者を打ち破る下剋上が起こっていました。そして、このような勢力は幕府や朝廷の権利にも従おうとしなかったのです。

その勢力とは戦国大名、ただ戦国大名もまた家臣の反乱に警戒する必要があり、そのためせっかく領土を手に入れてもその地位が安定することはありません。そこで戦国大名が定めたのが分国法で、武士に法律を定めることでスムーズな領土運営を図ろうと考えました。

最も、分国法は統一されたものではなく、大名によってその内容はバラバラになっています。とは言え、いずれの分国法も御成敗式目が元になっていたようで、特に武士の権威と生活の要となる土地において細かく制定された御成敗式目は、戦国大名にとって大いに参考になりました。

徳川家による武家諸法度

武士の法律をもう一つ挙げると、徳川将軍が制定した武家諸法度があります。武家諸法度が最初に制定されたのは1615年でしたが、将軍が代替わりするたびにその内容が改訂されており、徳川15代将軍の中で武家諸法度を制定しなかったのはわずか2人しかいませんでした。

天下統一を果たした徳川家、政権を掌握した次にすべきことはその政権の維持と安定です。特に力を持つ大名の反乱には警戒する必要があったため、それを防ぐために武士に決まり事を作ろうと武家諸法度を制定しました。ですから、その内容は必然的に徳川家にとって有利なものになっています。

武家諸法度の制定は「武士のため」ではなく「徳川家のため」、要するに大名の反乱をけん制しつつその勢力を弱めるのが目的でした。鎌倉時代に制定された御成敗式目は、このようにして鎌倉幕府滅亡後も分国法や武家諸法度に影響を与えていたのです。

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戦国時代を学べば分国法、江戸時代を学べば武家諸法度が登場するが、どちらも御成敗式目の影響を受けている。ちなみに、室町時代になっても御成敗式目は引き継がれており、ただ室町時代にあわせた内容が追加されているぞ。

御成敗式目は初めての武家法で鎌倉時代に制定された!

御成敗式目のポイントは、初めて定められた武家法という点です。御成敗式目を覚えた現時点では気にならないと思いますが、歴史を学ぶ中ではやがて今回も少し触れた分国法や武家諸法度が登場してきます。

これらはいずれも武士に対する法律のため区別しづらく、そのため間違えやすいのです。ですから「御成敗式目=初めての武家法で鎌倉時代に制定された」としっかり覚えておきましょう。

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