日本史歴史鎌倉時代

初めての武家法となる「御成敗式目」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

地頭の解説

各国に1人設置された守護に対して、地頭は各荘園・公領に設置されました。これは役割の違いが理由となっていて、国を取り締まる守護に対して地頭はあくまでも年貢の徴収が主な役割でしたから、その対象となる各地の荘園や公領に設置されていたのです。

最も、時には軍事や警察に近い仕事を命令されることもあったようで、元々地頭は御家人出身だったことから、起こった紛争に対しても武力解決を図るケースが多々ありました。時には横暴だった地頭、「泣く子と地頭には勝てぬ」のことわざはこの時の地頭が由来になっています。

しかし、室町時代になった頃には守護との権限に差が出てしまい、経済力を手に入れた守護の家臣たる存在に成り下がってしまいました。そのため地頭の役職が輝くのは鎌倉時代のみであり、室町時代になると地頭は名ばかりの役職。さらに、室町時代の中期になった頃にはもはや地頭の名前すら聞かなくなりました。

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御成敗式目は御家人を対象にした法律であり、それを学ぶ中では必ず守護・地頭のワードが登場するだろう。そこで、守護・地頭の基本的な知識とそれぞれの違いは覚えておこう。守護・地頭の知識なくては鎌倉時代は理解できないぞ。

御成敗式目の内容

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土地に関する条文

土地の争いを起点に制定された法律だけあって、御成敗式目には土地に関する決め事が記されています。中でも特に特徴的かつ重要なのは、将軍に与えられた土地の支配権が保証されたことで、そのため御成敗式目の制定によってむやみに土地の支配権を奪う行為は禁止されました。

ただしこれには時効も認められており、20年間その土地を支配し続けた場合においては支配権が認められています。また、親から子へと土地を譲るケースがありますが、子供が親不孝となる行為をおかした場合は土地を取り返すようになっていて、これを悔返や悔返し権と呼びました。

また、上記での「守護・地頭の違い」の解説の中でそれぞれの役割について触れていますが、それは御成敗式目の中で記されていることです。守護の役割である大犯三か条、地頭の役割である年貢の徴収などに関しては、いずれも御成敗式目の中で条文として定められたものでした。

公家法との区別

御成敗式目は土地のこと以外にも裁判に関すること、罪を犯した場合のこと、遺産相続のことなど様々な分野において記されています。武士のみが対象とは言えまさに法律に相応しい内容ですが、実は御成敗式目が制定される以前にも法律たるものは制定されていました。

それは701年の大宝律令を起源として作られた公家法で、ただ公家法はその内容の複雑さから武士には理解が難しかったようです。北条泰時によれば公家法の理解は源頼朝ですら難しかったようで、そこで武士のために分かりやすい法律を作ろうとした部分もありました。

ですから御成敗式目は既に存在していた公家法を否定するものではなく、またそれに修正を加えたものでもありません。あくまで武士のための法典というのが御成敗式目の位置付けです。こうした武士のための法律は、御成敗式目が起点となって鎌倉幕府滅亡後も作られていきました。

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御成敗式目は武士のための法典で、公家法を否定・追加したものではない。公家法を含めて、大宝律令など法律は以前から存在していたが、武士のための法律……すなわち武家法はこの御成敗式目が初めての制定となった。

御成敗式目の影響を受けて作られた法律

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