日本史

飛行場を巡る日本軍とアメリカ軍の攻防「ガダルカナル島の戦い」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日はガダルカナル島の戦いについて勉強していくぞ。1941年に日本とアメリカとの間で起こった太平洋戦争では、真珠湾攻撃による奇襲で当初日本は優勢に立っていた。

しかしミッドウェー海戦の敗北で一転して劣勢に立たされた日本、その後に起こったのがガダルカナル島の戦いだ。今回はガダルカナル島の戦いについて日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」からガダルカナル島の戦いをわかりやすくまとめた。

ミッドウェー海戦での敗北

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日本の作戦を見破ったアメリカ

まず、ガダルカナル島の戦いは太平洋戦争の中で起こった戦いですが、太平洋戦争は第二次世界大戦の中で起こった戦いです。そのため「ガダルカナル島の戦い=太平洋戦争における戦い」でもあり「ガダルカナル島の戦い=第二次世界大戦における戦い」でもあり、これらはどちらも正しい表現だと解釈してください。

1941年12月、真珠湾攻撃で奇襲を成功させた日本はフィリピン・インドネシア・マレー半島へも侵攻。さらにマレー沖海戦ではイギリス艦隊を撃破、快進撃が続く日本は次々と重要拠点の占領に成功、しかしそんな日本優勢の流れを一転させたのが1942年のミッドウェー海戦でした。

元々日本はミッドウェー島への攻撃を暗号化しており、そのためアメリカも日本の次の攻撃目標が分からずに悩みます。しかし、アメリカの情報作戦でミッドウェー島攻撃の作戦が発覚してしまった日本、アメリカは日本が知らぬ間にミッドウェー島に主力の空母と艦隊を送り込みました。

敗北以上に痛かった空母の損失

攻撃目標を知られたことに気づかない日本軍、「赤城」・「加賀」・「飛龍」・「蒼龍」の4隻の空母を向かわせてミッドウェー島に空襲を開始します。しかし、アメリカは日本が攻めてくることを知っていたため、待ってましたとばかりに反撃を開始、さらにそこへアメリカの空母が到着しました。

攻撃される日本の空母、「赤城」・「加賀」・「蒼龍」の3隻はたちまち戦闘不能に陥ってしまいます。残る「飛龍」は一致報いる反撃によってアメリカの空母1隻を撃破したものの、やがて「飛龍」も撃破され、日本は敗北と同時に主力の空母4隻を失うことになりました

日本にとってミッドウェー海戦の敗北はもちろん痛かったでしょうが、それ以上に痛かったのは空母4隻を失ってしまったこと。制空権を奪われた日本は作戦変更を余儀なくされ、空母を失った日本に必要なのは飛行場を作って基地航空隊を配備すること、そしてそのために選ばれたのがガダルカナル島でした。

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ガダルカナル島の疑問は、そもそもなぜ日本軍がそんな場所にいたのかという点だ。しかしその答えがこれで分かっただろう。日本はミッドウェー海戦で空母を失ったため飛行場を作る必要があり、その場所にガダルカナル島を選んだのだ。

ガダルカナル島の戦いの始まり

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アメリカ軍による飛行場占拠

ガダルカナル島は日本の首都・東京から約6000キロ離れた位置、ソロモン諸島にある島でした。日本はここに飛行場を作るために工事を開始、やがてその第一期工事が完了します。一方のアメリカ、ミッドウェー海戦でようやく日本の快進撃を止めたことで、さらなる攻撃の機会をうかがっていました。

そこでアメリカが狙ったのはガダルカナル島、こうして1942年の8月にガダルカナル島の戦いが勃発します。日本軍が飛行場の建設を終えてから2日経過した頃、およそ8000人のアメリカ軍が攻撃を仕掛けてきました。日本軍も守備隊を配置していたものの、その数が少なかったため苦戦を強いられます。

やがて、ガダルカナル島へと上陸したアメリカ軍は日本軍が作った飛行場を占拠、そしてその飛行場はヘンダーソン飛行場と名前をつけて使うようになりました。当然日本軍もこのまま黙って飛行場の占拠を許すつもりはなく、ガダルカナル島の戦いはここからが本格的な始まりとなります。

第一次ソロモン海戦

第一次ソロモン海戦……ガダルカナル島は文字どおり島であるため、戦闘を有利にするためには物資を届けなければなりません。そのため、第一次ソロモンは日本軍にとってもアメリカ軍にとっても命運を決める戦いでした。まずは日本軍、アメリカ軍の輸送艦隊を撃破しようと艦隊を出動させます。

しかし、ここで日本軍の艦隊はアメリカ艦隊と遭遇してしまったため戦闘。日本軍はアメリカ艦隊を4隻撃破する成果をあげますが、輸送艦隊に攻撃するだけの余裕は残っていませんでした。ですから当初の作戦は中止となってしまい、その結果アメリカ軍には多くの物資が届けられたのです。

これで断然有利になったのがアメリカ軍、ただ日本軍も物資補給のための作戦を展開して、日本軍とアメリカ軍で物資を輸送するための戦い……すなわち海戦が繰り広げられました。例えば、戦艦を使って輸送を行う工夫も行っており、これは本来の輸送船だとスピードが遅く攻撃対象になってしまいやすいからです。

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飛行場建設によって航空基地を前進させようと狙った日本軍、これらに焦ったアメリカ軍は阻止するためガダルカナル島に上陸して攻撃、圧倒的な兵力差で飛行場を占拠する。その後はガダルカナル島に物資を届けるための海戦を展開した。

日本軍を圧倒するアメリカ軍

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甘く見ていたガダルカナル島の奪還

ガダルカナル島を奪還したい日本軍、そこで海軍は陸軍に相談、その結果上陸を命じられたのは一木支隊でした。一木支隊は元々ミッドウェー島の攻略を任されていましたが、ミッドウェー海戦で思わぬ敗北を喫してしまったため、作戦変更となってグアム島にて待機していたのです。

この時、日本軍はガダルカナル島での戦いを甘く想定しており、そもそもガダルカナル島がどこにあるのかすら分からず、またアメリカ軍の兵力も大したことないだろうと考えていました。言葉が悪くなりますが、分かりやすく言えば日本軍はガダルカナル島の奪還をナメていたのです

ちなみに一木支隊の兵力は1000人に満たない数、これは隊長がアメリカ軍の兵力は2000人ほどだと聞いていたのが理由。これなら一斉に突撃すればアメリカ軍は降伏するか逃げだすに違いない……そう読んだ日本軍でしたがこの読みは完全に甘く、実際の戦場はそれとは全く異なるものでした。

日本の陸軍の誤算

アメリカ軍の兵力は推定のおよそ10倍、つまり20000人もの兵士がいたため1000人の兵力である一木支隊にとっては想定外。さらに戦車も揃っていたため太刀打ちできず、圧倒的な戦力差によって一木支隊はたちまち壊滅してしまい、隊長も銃で自決する最期を遂げました。

一木支隊全滅の知らせを聞いて驚愕した日本の陸軍、それならばと次に送り込んだのがおよそ4000人の兵力を持つ川口支隊です。ガダルカナル島は既に上陸するのも容易でなくなっており、川口支隊は敵戦艦の激しい攻撃を受けながらもなんとかガダルカナル島に上陸しました。

しかし不運にもアメリカ軍の最前線へと接触してしまい、兵力も武器も充実したアメリカ軍の攻撃を受けてしまいます。とは言え、川口支隊も反撃してアメリカ軍の戦車部隊の半数以上を壊滅させますが、それでもガダルカナル島の奪還までには至らず、飛行場も突入寸前で阻止させてしまいました。

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日本軍はガダルカナル島という戦場を甘く見ていた。想定した10倍もの兵力を持っていたアメリカ軍、その戦力差によって一木支隊は壊滅、次に派遣された川口支隊も苦戦する。戦闘は依然続き、そうなると次に問題となってくるのが食糧だ。

アメリカ軍と餓死との戦い

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失われていく食糧

川口支隊はやがてタサファロング付近に集まりますが、ここに問題となってくるのが食糧です。安定した物資補給がなされないガダルカナル島、頼れるのは隊が持つ携行食糧でしたがそれも一週間分ほどしかなく、当初は早々に飛行場を奪還してアメリカ軍から食糧を奪う計画でした。

実際、中国の時にはそのようにして食糧を確保していたのです。しかし、飛行場に突撃する寸前で阻止された川口支隊は700名以上の兵士が死亡。日米軍含めてあまりにも多くの戦死者や負傷者を出したその戦場は、やがて血染めの丘と名付けられるほどでした。

アメリカ軍だけでなく餓死との戦いも必要になってきた川口支隊、その意味でガダルカナル島は餓島とも呼ばれます。苦戦する日本の陸軍、これを援護しようとする海軍はラバウルの航空基地から飛んで空からの援護を行うものの、航空機に対する反撃や燃料切れの問題から次々と機体やパイロットが失われていきました

撤退の決意

陸軍の飢餓、海軍の燃料切れ、戦況が深刻になる日本軍に対してアメリカ軍には余裕がありました。何しろ、アメリカ軍はガダルカナル島をほぼ占拠していましたから、待ちに徹すれば良いのです。ただ待っていれば日本軍が基地の上空に訪れ、それを攻撃すれば良いだけでした。

さらに兵力も充分な人数が揃っていたため、前線で戦う兵士達も交代して休憩できる状態です。極限状態で攻めるしかない日本軍とそれに備えて待機すれば良いアメリカ軍では、後者が有利なのは言うまでもありません。このようにして日本軍は徐々に追い詰められていったのです。

ガダルカナル島の戦いでは、第一次ソロモン海戦に加えて第二次ソロモン海戦・第三次ソロモン海戦・南太平洋海戦などが繰り広げられました。しかし、いずれの戦いにおいてもアメリカ優勢の戦況を揺るがすことはできず、ついに日本軍はガダルカナル島からの撤退を決断します。

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ガダルカナル島に上陸しか日本軍は計30000人にも及ぶが、このうちの20000人が行方不明、もしくは死亡した。しかし戦死者に限って言えば5000人とされていて、つまり大半の兵士が餓死やマラリアによる病気で死亡したのだ。

その後の日本

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ガダルカナル島の戦いは致命的な消耗戦

ガダルカナル島から撤退した日本軍、その際に負傷や病気にかかっている兵士には自決が命じられました。惨敗という結果で撤退せざるを得なくなったガダルカナル島の戦い、しかし日本の大本営はこれに対して「転進した」と発表、目的達成のため部隊を移動させたと説明しています。

もちろんそれは国民に真実を知られないための嘘で、事実を伝えてしまえば国民が戦争敗北を予感するのは明白でした。ミッドウェー海戦では空母を失った日本軍、さらにこのガダルカナル島の戦いではミッドウェー海戦の3倍にも及ぶ航空機の損害を出してしまったのです。

既に空母を失っており、それに加えて物資補給のための輸送船も失うことになりました。そのため、またしても作戦変更を余儀なくされる日本軍はこの戦い以降も防戦一方になってしまい、戦いが起こるたびに敗北を繰り返すことになっていきます。ガダルカナル島は日本軍にとって致命的な消耗戦となりました。

アメリカの軍事力の高さ

ミッドウェー海戦に続いてガダルカナル島の戦いでも敗北した日本、しかし真珠湾攻撃でアメリカを先制した日本はなぜこうも一転して劣勢となってしまったのでしょうか。その理由はそもそもこれがアメリカ本来の軍事力であり、戦争開始時から日本はアメリカの軍事力に敵わないことが分かっていたのです。

その証明とも言えるのが、アメリカとの戦争が決まった頃の連合艦隊艦長である山本五十六の言葉でしょう。「最初の1年や2年は暴れてみせますが、それ以降は保証しない」と口にしており、日本がアメリカに勝利するには奇襲を仕掛けてアメリカの戦意を奪い、その上で早々に講和に持ちこむしかありませんでした。

ただ、奇襲となる真珠湾攻撃を宣戦布告前に行ってしまったことでアメリカは激怒。戦意を奪うどころか徹底抗戦の感情を与えてしまったのです。その時点で戦争が長期化するのは明白であり、戦争の長期化が確定した時点で日本がやがて劣勢に陥ることは目に見えていたでしょう。

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ガダルカナル島の戦いで敗北した日本は、これ以降の戦いでも敗北を繰り返す。既に空母と輸送船を失っていたため、劣勢の戦況を一転させることはもはや不可能だっただろう。戦争が長期化した時点で既に日本は不利だったのだ。

そもそもなぜガダルカナル島の戦いが起こったのかを考えよう!

ガダルカナル島の戦いでのポイントは、まずこの戦いが起こった理由を知ることです。これは日本とアメリカが飛行場を巡って起こった戦いであり、その根底にはミッドウェー海戦での空母損失が関係しています。

また、ガダルカナル島の戦いでの死者は戦死ではなく餓死や病気が多かったことにも注目しましょう。餓死は物資補給の供給が不充分だったため、そして病死はマラリアなどの戦病死です。

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