しかしそう悩むのも今日が最後で、これらの区別や戦争の内容を分かりやすく伝えよう。そこで、今回は大東亜戦争について日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していきます。
ライター/リュカ
元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から大東亜戦争をわかりやすくまとめた。
日本における戦争の名称の決め方
まず違いが分かりづらい大東亜戦争と太平洋戦争の違いですが、これはどちらも同じ戦争を意味しており、つまり大東亜戦争と太平洋戦争はイコールと考えれば良いでしょう。では、どうしてそれぞれ戦争の名称が異なるのかについて説明していきます。
これは戦前の話になりますが、日本では戦争の名称を政府が閣議によって決めていました。例えば1931年には満州にて柳条湖事件によって南満州鉄道の線路の一部が爆破され、これをきっかけに日本と中国が武力衝突する事件が起きましたが、政府はこれを満州事変と名付けます。
さらに1937年に日本と中国の間に起きた大規模な戦争、これは今でこそ日中戦争と呼ばれていますね。しかし、当時は近衛内閣によって北支事変と名付けられ、その後には支那事変と改称されました。そして1941年に起こった日本とアメリカの戦争、これは大東亜戦争と名付けられたのです。
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大東亜戦争に対する連合国側の理念と構想
1941年に起こった日本とアメリカの戦争……どう考えてもそれは太平洋戦争を連想しますし、その連想に間違いはありません。しかし当初は大東亜戦争と呼ばれており、ではいつから太平洋戦争と呼ばれるようになったのでしょうか。その理由を説明するため、戦争終了まで時間を進めていきます。
大東亜戦争は太平洋戦争とイコールですから、戦争の結末はみなさんも分かっているでしょう。この戦争では日本が敗北しますが、実は敗戦直後に「大東亜戦争と呼ぶ派」と「太平洋戦争と呼ぶ派」で対立が起こっていて、戦争に勝利した連合国側は大東亜戦争と呼ぶことに強く反対しました。
なぜなら、連合国側は大東亜戦争に対して「欧米諸国によってアジアの植民地を解放し、アジアの自立を目指す」の理念と構想があったためで、ですから大東亜戦争の呼び名では都合が悪いと思ったのでしょう。簡単に言えば、連合国側は大東亜戦争という名称では「侵略戦争を肯定する」の意味合いが強くなってしまうと主張したのです。
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