
5-1、フランツ・ヨーゼフの逸話
Koller Tanár Utódai – https://www.theglobeandmail.com/news/wwi-throwback-reliving-moments-leading-to-the-great-war/article19361566/, パブリック・ドメイン, リンクによる
朝は3時起床で5時に執務に着き、夜は9時に就寝、軍隊式の鉄のベッドで寝たという人ですが、色々な逸話をご紹介しますね。
5-2、最新機器は嫌いだった
当時は電話とかエレベーター、自動車なども最新機器として登場した時代でしたが、フランツ・ヨーゼフはそういうものを嫌い、絶対に使わなかったということ。
5-3、非常に質素でつぎはぎの下着を着ていた
フランツ・ヨーゼフのお付きの話として、フランツ・ヨーゼフの衣服は何度も仕立て直して着たということで、下着も継ぎを当てたものを着用。愛人といたときに、そのつぎはぎだらけの下着が破れたフランツ・ヨーゼフは、「破れちゃった、これしかないのに、これしかないのに」と、ものすごくうろたえたが、それを見た愛人が、「またつぎを当てればいいじゃない」と言ったという話が。
エリザベート皇后も愛人カタリーナ・シュラットもかなり贅沢思考で浪費家だったが、フランツ・ヨーゼフは気前よく彼女たちに色々な高価なプレゼントを与えていたけれど、自分のものはかなり倹約していたんですね。
5-4、エリザベート一筋ではなかった
フランツ・ヨーゼフといえば、エリザベートへのひと目惚れが印象的ですが、エリザベートは結婚後10年を経ずして転地療養という名の旅行三昧でウィーンを離れることが多くなったせいか、愛人も存在。
有名なのはカテリーナ・シュラットという女優で、これはエリザベートが取り持ったと言われる公認の仲。
また、アンナ・ナホフスキーという女性との間に庶子ヘレネと、フランツ・ヨーゼフが生まれ、他にも4人も子供を産んだ平民の愛人の存在も明らかに。
6、最期まで皇帝の仕事をつづけた
1916年、11月に入るとフランツ・ヨーゼフは衰弱、一時は書類に向かうほど回復したが、11月21日の夜、明朝3時半に起こすようにと言い眠りに着き、大勢の縁者に見守られ肺炎で死去。享年86歳。
フランツ・フェルディナンド大公の死後に皇位継承者となった、その弟オットー・フランツ大公の長男のカール1世が即位したが、第一次世界大戦の敗戦後、「国事不関与」を宣言、退位要求を拒絶後にスイスに亡命。フランツ・ヨーゼフの死後2年にしてハプスブルグ家支配は終焉に。
王権神授説を信じた最後の皇帝
フランツ・ヨーゼフはハプスブルグ家の傍系の生まれですが、生まれたときから皇帝の地位が約束され、3月革命で18歳で伯父の退位を受けて即位、以後68年の長きにわたり、オーストリア、ハプスブルグ家の実質最後の皇帝となった人。
しかしフランツ・ヨーゼフの在位中は、ハプスブルグ帝国の末日を予想するような、戦争に負け続け民族抗争は起こるという激動の時代で、また、最愛の皇后エリザベートは美貌ではあったが、これまた最愛の母との激しいバトルで、ついにうつ病となって転地療養し、ウィーンに居つかなくなったし、反対を押し切ってメキシコ皇帝になった弟は処刑され、皇太子には謎の事件で先立たれ、継承者となった甥は暗殺とフランツ・ヨーゼフは家庭的にも不幸の連続。
本人は王権神授説を信じて、厳格なまでに皇帝としてふさわしく自分を律し、軍人的に規律正しい質素な生活をしていたが、王位継承者となった甥のフランツ・フェルディナンドの結婚を、皇帝にふさわしい結婚ではないと認めなかったことなども含めて、まさに恐竜のような滅びに至る古い時代の象徴だったのでは。