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オーストリア・ハプスブルグ家最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ」を歴女がわかりやすく解説

3-6、アウスグライヒ、ハンガリー二重帝国の成立

普墺戦争の敗戦でドイツから撤退したオーストリアは国内体制の変更に迫られ、アウスグライヒ(妥協)でハンガリー王国の独立を認めて、フランツ・ヨーゼフがハンガリー王を兼ねて、オーストリア・ハンガリー帝国とするという二重帝国体制をとることに。

3-7、バルカン半島進出

オーストリア・ハンガリー帝国は1873年、ドイツのビスマルクに協力し、対フランスとして結束、ロシアと共に三帝同盟を結成したが、その後はバルカン半島に進出、スラヴ系民族とその背後のロシアと対立したために三帝同盟は事実上無効に。そして1878年、ベルリン条約でボスニア・ヘルツェゴヴィナ統治権が承認、1908年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合したためセルビアが強く反発。

3-8、第一次世界大戦

1914年6月、サライェヴォ事件で皇位継承者フランツ=フェルディナント夫妻がセルビア人暗殺後、オーストリア・ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告して第一次世界大戦へ突入。

4-1、フランツ・ヨーゼフの身内の悲劇的な死

フランツ・ヨーゼフは長生きしたせいばかりじゃないでしょうが、多くの身内の悲劇を体験しています。

4-2、次弟マクシミリアンが処刑

フランツ・ヨーゼフのすぐ下の弟であるマクシミリアンは、母ゾフィー大公妃に最も可愛がられ甘やかされた人。

じつは、祖父フランツ1世の娘でフランツ・ヨーゼフやマクシミリアンの伯母にあたるマリー・ルイ―ズと、ナポレオン1世皇帝との間に生まれたナポレオン2世はウィーン宮廷でライヒシュタット公爵として育てられ、21歳で結核で亡くなったのですが、ゾフィー大公妃と不倫が噂されたほど仲が良く、マクシミリアンはライヒシュタット公爵が亡くなった年に生まれ、もしや彼の息子ではという噂もあり。

マクシミリアンは成人して海軍での軍歴ののち、ミラノに総督、ロンバルディア・ヴェネトの副王となったが、1857年にベルギー国王レオポルド1世とフランスのルイ・フィリップ国王の娘の王妃ルイーズ=マリー・ドルレアンの王女シャルロッテと結婚。シャルロッテは、イギリスのヴィクトリア女王とアルバート公夫妻のいとこにあたり、義姉エリザベート皇后はバイエルン公爵の娘に過ぎないが、わたしは王女と対抗意識をむき出しにした高慢な女性だったよう(それにゾフィー大公妃に可愛がられた)。

マクシミリアンは兄フランツ・ヨーゼフが反対するも、野心的な妻シャルロッテが焚きつけたせいもあって、1864年4月、フランスのナポレオン3世と帝政復活を望むメキシコの王党派の支援でメキシコ皇帝に即位。しかしアメリカ合衆国他の多くの国々は承認せず、フランス軍が引き上げたためにメキシコ共和派軍の捕虜となって、1867年に銃殺刑に。シャルロッテは精神に異常をきたしてベルギーに引き取られ、田舎の城に幽閉状態のまま86歳で死去。

4-3、息子の皇太子ルドルフの情死

ひとり息子のルドルフ皇太子は母エリザベートに似て自由主義的な思想を持ち、保守的な父と対立しがちだったが、1889年、31歳でマリー・ヴェッツェラ男爵令嬢とマイヤーリンクで情死(暗殺説も)。フランツ・ヨーゼフとエリザベートは嘆き悲しみ、エリザベートは以後黒い喪服しか着なかったということ。ルドルフには一人娘エリザベートがいてフランツ・ヨーゼフは溺愛したが、皇位継承者とはならず。

4-4、皇后エリザベートの暗殺

1898年、皇后エリザベートが旅先のジュネーヴのレマン湖のほとりで、イタリア人無政府主義者ルイジ・ルキーニによって60歳で暗殺。知らせを聞いたフランツ・ヨーゼフは、「この世はどこまで余を苦しめれば気が済むのか」と号泣。

4-5、王位継承者フランツ・フェルディナンド夫妻の暗殺

ルドルフ皇太子の死後、フランツ・ヨーゼフの弟のカール・ルードヴィッヒ大公が王位継承者となったが、1896年に死去してその長男のフランツ・フェルディナンド大公が王位継承者に。

彼はフランツ・ヨーゼフらの反対を押し切って、ボヘミアの貴族のゾフィー・ホテク伯爵令嬢と貴賤結婚。フランツ・ヨーゼフを筆頭にハプスブルグ家の親戚はほとんどが結婚式に出席せず、ふたりの間に生まれる子供は王位継承権なし、そしてゾフィー・ホテクは大公妃ではなくホーヘンベルク伯爵夫人として宮廷行事では最下位の席次に(子供ですら上席)。

フランツ・ヨーゼフとフランツ・フェルディナンドとの間もぎくしゃくとし、政治的な思想も違うため相容れぬ関係だったが、1914年オーストリア領、サラエヴォ(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ領)訪問中、夫妻ともに暗殺。フランツ・ヨーゼフは知らせを聞いて、王朝の継承者なのに貴賤結婚をして義務に反したために神が天罰を下したと発言。夫妻の葬儀、その後の扱いのひどさから宮廷及び民衆の怒りが盛り上がり、第一次世界大戦勃発のきっかけに。

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