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マリア・テレジアが引き起こした「七年戦争」を歴女が5分で分かりやすくわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は7年戦争についてだ。7年戦争とは、オーストリアのマリア・テレジアがプロイセンのフリードリヒ2世に奪われたシュレジエンを取り戻すために起こした戦争だ。しかしなぜフリードリヒはシュレジエンを奪ったのだろうか。

それじゃあシュレジエンの争奪についての経緯を歴女のまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー歴女。特にハプスブルク家に関する書籍を愛読中!今回はハプスブルク家のマリア・テレジアが引き起こした7年戦争について解説していく。

1 オーストリア継承戦争

image by iStockphoto

7年戦争はプロイセンに奪われた領土、シュレジエンの奪回のためマリア・テレジアが引き起こした戦争。しかしなぜシュレジエンはプロイセンに奪われてしまったのでしょうか。7年戦争について解説していく前に、この戦争の起こる少し前に起こったオーストリア継承戦争について解説していきます。

1-1 マリア・テレジアの継承

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Andreas MøllerKunsthistorisches Museum Wien, Bilddatenbank., パブリック・ドメイン, リンクによる

マリア・テレジアが7年戦争を起こすきっかけとなったのは、オーストリア継承戦争でした。ではオーストリア継承戦争とは一体どういうものだったのでしょうか。事の発端は彼女の父、カール6世の時代にまで遡ります。カールは男子の後継者に恵まれず、やむなく長女のマリア・テレジアに家督を相続させることに。法律を整備し、これまでは男子のみの継承権だったものを女性にも継承できるようにし、他国にも承認してもらうことに。ところがカールの死後、マリア・テレジアの継承に異議を唱える声が上がることに。

1-2 各国がハプスブルク家の弱体化を狙う

マリア・テレジアが家督を継ぐことになったのは1740年。父カール6世は生前詔書で彼女が継げるようにしていました。ところがカール6世は戦争に明け暮れていたため、軍事力は消耗。更に度重なる戦争費のため財政難という状況。更に23歳のマリア・テレジアは父から帝王教育を受けておらず、政治経験も0。このためハプスブルク家の弱体化とその領土を狙い、フランスのルイ15世、プロイセンのフリードリヒ2世をはじめバイエルンなどが彼女の継承に異議を唱えることに。まずフランスのルイ15世が「オーストリアの王位はしかるべき男性が即(つ)くべきである」とし、これにバイエルン、ザクセンが同調。

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強大なハプスブルク家を相続したのがまだ23歳の若い女性で更に政治経験もなかったことから、各国の君主はマリア・テレジアを侮っていたんだ。そしてフランスやプロイセン、バイエルン、ザクセンでハプスブルク家領の分配やハプスブルク家の世襲となっていた神聖ローマ皇帝の地位を狙うようになったんだ。その後は一体どうなったのかみていくとしよう。

1-3 フリードリヒ2世の占領

各国の中で最も早く動いたのは、フリードリヒ2世率いるプロセイン。彼は突然ハプスブルク家領のシュレジエンに軍隊を送り占領。このシュレジエンですが、地下資源が豊富にあり工業が盛んなエリア。したがって自国の産業があまり発展していないプロイセンからすると喉から手が出るほど手に入れたい地域。しかしそれはマリア・テレジアにとっても同様。父から受け継いだ領土は1つでも手放したくなどなかったしハプスブルク家の財源の25%を占める重要な地域だったため、なんとしても取り返そうとしました。

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