
今回はその「鎌倉文化」をテーマに、歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に解説していきます。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。
武士らしい素朴で力強い文化
平安時代の末、「治承・寿永の乱(源平合戦)」で平氏を倒し、政権を握った源頼朝は鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に幕府を開きます。これが武士社会と鎌倉時代の始まりです。
冒頭で桜木先生がおっしゃられたように、それまでの貴族中心の社会から武士中心の社会へ変わるわけですから、当然、文化の担い手も変わってきます。平安時代に菅原道真が遣唐使を廃止して以来、日本では国風文化や公家文化が温まっていましたが、鎌倉文化は武士にふさわしい「素朴で力強い文化」となるのです。
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武家文化の目覚め

武士たちが文化の担い手として成長し、武家特有の文化が徐々に形成されていきました。
武家の本分はやはり戦いですね。ことわざに「いざ鎌倉」とありますが、これはもともと鎌倉幕府に一大事が起きたら諸国の武士たちは鎌倉へ駆けつけなければならなかったことに由来します。平家が滅び、鎌倉幕府が開かれたからと言っても完全に平和になったというわけではなかったんですね。
武士の戦で必要となるのが、弓、馬、そして刀のみっつ。弓と馬については、武者が騎乗から弓で敵を射抜く訓練の「騎射三物(犬追物、笠懸、流鏑馬)」が重要視されていました。
さらに、「巻狩」といって、軍事訓練のためにおこなわれる大規模な狩猟がありました。鹿やイノシシがいる狩場を多人数で包囲し、獣を中に追い詰めて射るのです。源頼朝が多くの御家人を従えて富士の裾野付近で行った「富士の巻狩り」が特に有名ですね。
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