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世界の三分の一もの銀生産量を誇った「石見銀山」を戦国通のサラリーマンが徹底わかりやすく解説

幕府支配が終了

江戸時代後期となると幕府の一時代を支えていた石見銀山は、銀の発掘すら難しくなっていき深く掘り過ぎてしまうと水が湧き出てしまい思うように掘り進めることが出来ませんでした。また幕府と長州藩などの関係が悪化していき対立していくとになり戦へと発展していきす。

1864年と1866年に発生した長州戦争によって幕府軍と長州藩が対峙していき、長州藩の攻撃を防ぎきれなくなり最後の大森代官だった鍋田三郎右衛門成憲は役人を引き連れ逃亡し石見銀山は長州藩の所領となっていきました。幕府軍が倒れ明治政と石見銀山にも終わりをむかえていきます。

石見銀山閉山

廃藩置県によってこの地域は長州藩から大森県と名を変えていき、石見銀山も大政官庁が発令した大政官達により農民だった田中義太郎の手へと銀山所有者も変わっていきました。開発進めようした矢先に浜田地震が発生したため、開発を一時中断するも中々再開することが出来ず大阪の企業へ譲渡される形になっていきます。

譲渡された現在のDOWAホールディングスは、ボーリング調査を行っていくも銀が採取出来ないと判断され島根県に鉱業権と共に譲渡されていきました。これにより商業発展の足掛かりを作った石見銀山は約七百年という長い年月稼働していた銀山に幕が閉じていきます。

県の観光施設として活躍

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遺構が数多く残されているため、国の史跡として重要文化財にも認定されていきました。

世界遺産へ申請

世界の鉱山と比べると自然豊かさが残されていて美しい景観となっていた石見銀山でした。そこで世界遺産への登録していく動きが高まっていき日本政府が主導となりユネスコ世界遺産委員会に推薦書を提出していきます。

登録を審査していくのは各国から推薦された人物達が、集まる国際記念物遺跡会議が石見銀山を審査していきました。しかし世界遺産へ登録するための一つの普遍的な価値を証明することが出来ないと登録が延期すると日本政府へ勧告していきます。

これを受けた日本政府は世界遺産登録が難しいと思っていましたが、専門家などによる百ページを超える論文を作成していきました。補足資料を論文として提出した他に石見銀山の良さを紹介する外交活動が積極的に行われていくと国際記念物遺跡会議で反響を呼んでいきます。

壮大な自然が決めてとなる

国際記念物遺跡会議で再審査した結果として、二十一世紀に必要な環境配慮が為されているということで会場が満場一致で世界文化遺産への登録が決定しました。国内では十四番目の世界遺産登録となりましたが、産業遺産ではアジア初の文化遺産である快挙を成し遂げていきます。

一番の決め手となっていたのが、石見銀山に残されている自然が登録へと繋がり森林伐採されたところに植林を行い自然保守にも努めたことも登録となった理由の一つになりました。しかし日本にとっては大変喜ばしい出来事ではありましたが、一部の外国から批判の声が相次いぎます。

英国の新聞では国際記念物遺跡会議は世界遺産の基準を満たしていないにも係わらず、外交官を巻き込んだ政治的活動を指摘していました。

観光スポットとして有名な地域へ

遺産登録後は環境保全の取り組みは継続していくことを指摘され、交通機関や道路などの建設を行わないよう最善の注意を払っていきました。そのため環境負荷を軽減させる観光モデルの取り組みが為されていき、私用車を石見銀山の近隣駐車場に駐車させEVバスや電動自転車といった自然に優しい方法が進行。

そして当時の技術や歴史を紹介する石見銀山世界遺産センターが設立されており、時期によっては企画展なども行われていきます。見どころである龍源寺間歩は常時一般公開されている場所で当時のノミで掘った跡がそのまま残され、大久保間歩では石見銀山の中でも最大の坑道で坑内の高さは最大五メートルと広い坑道。

また石見銀山だけでなく大森の街並みも江戸時代の面影を垣間見れるエリアとなっていて街並み癒されることでしょう。

現代の人の手で継続的な遺産保持が行われている

鎌倉時代から江戸時代まで約五世紀もの長い期間に多くの銀や銅を発掘され、時代を支え徳川幕府の発展することが出来た理由の一つがここにあると思います。金銭に係わっていた場所だったため、犯罪が横行していたようで銀や銅の窃盗が相次ぎ見せしめとして石見銀山近くに罪人を裁く場所があり厳罰に対処されていることが分かりました。

銀山と自然を評価される形で、世界遺産へ登録されたため周辺の人達や団体によって保全活動を怠ることなく継続的に行われています。自然災害などで倒壊してしまったこともありましたが、使用できる材料はそのまま使用し当時の景観を損なわないようにされていました。

私自身もこういった文化遺産を残すために環境に配慮した行動をしていこうと思います。

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