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世界の三分の一もの銀生産量を誇った「石見銀山」を戦国通のサラリーマンが徹底わかりやすく解説

毛利氏の豊富な資金

尼子氏との激しい戦いを繰り返していくと、大内氏を裏切り名を挙げてきた陶氏と対立するようになり厳島にて決戦を行った結果見事勝利を収めていきました。これにより尼子氏を超える勢力となり毛利氏が山陰山陽地方を統一目前に迫り尼子晴久の急死によって尼子氏は弱体化し毛利氏が山陰山陽を統一を果たしていきます。

これ以降、織田信長と拮抗するほどの大国を築き石見銀山を有していたことで毛利氏が長期間に渡って戦を繰り広げていきました。信長から豊臣秀吉の時代となり毛利氏は豊臣家の傘下として活動していき、文禄・慶長の役でも毛利家の所領の石見銀山から資金を得ていきます。

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体がいうことを聞かなくなるまで働いていたのは、採掘でも貰える報酬のために働いていただろうな。またあまりにも鉛毒で亡くなってしまう人が多かったため近くに供養を目的とした寺院が多く建てられたいったようだ。

江戸時代での石見銀山

image by PIXTA / 31183694

戦国時代が終焉を向かえていき、徳川家康による新しい時代が始まっていきました。

毛利氏が減封

秀吉が病で亡くなり、争いの無い日本が誕生していきましたが長らく表役者の影に隠れていた家康が台頭し始めていき豊臣恩顧大名を次々と自信の手の内に加えていきました。これに反発する動きとして石田三成が毛利輝元を総大将とした西軍が結成されていきます。

そして家康率いる東軍と輝元率いる西軍が各地で戦を行い本戦となった関ヶ原で西軍は大敗。敗北したことで輝元は領土を全て没収と家康に言い渡されるも吉川広家が、本家を生き残らせるために働き周防と長門の二カ国が安堵される減封となりました。

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