芸術史上の運動のひとつとして登場するのが「シュルレアリスム」。アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」に端を発する運動で、フロイトの精神分析の理論の影響も受けている。人間の無意識の世界に果敢にチャレンジする数々の技法は詩作や絵画だけではなく映画製作にも影響を与えた。

それじゃ、「シュルレアリスム」がどのように展開したのか、その意味や方法を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史をたどるとき「シュルレアリスム」を避けて通ることはできない。第一次世界大戦後に生まれたこの運動作品は無意識の現象を現実にて表現するチャレンジ。そんな芸術家の方法を、今日に与えた影響も含めて解説していく。

「シュルレアリスム」とはどんな意味の言葉?

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シュルレアリスムは「シュル」と「レアリスム」を結び付けた造語。「シュル」を英語読みすると「シュール」。「~の上」「~の上を越える」という意味があります。シュルレアリスムは「レアリスム=現実」を表面と捉え、その先にある真の現実を追求する運動と言えるでしょう。

アポリネールがつくった造語が「シュルレアリスム」

シュルレアリスムという言葉を生み出したのはフランスの詩人であるギヨーム・アポリネール。当時、不遇の時代にあったキュビズムの画家たちを評価し、光をあてた人物でもあります。

アポリネールが初めてシュルレアリスムという言葉を使ったのは1917年。ジャン・コクトーが台本、エリック・サティが音楽、ピカソが舞台芸術、レオニード・マシーンが振付した前衛的なバレエ『パラード』の初演のプログラムのなかでした。

理性を排除した無意識のイメージを表現する試み

シュルレアリスムは現実と切り離された世界に興味があると思われがちですが、それは違います。実際は、理性を排除した無意識のイメージを通じて現実を追求しているという点で、まったくの無関係であるとは言えません。

シュルレアリスムは、これまでリアリズムと言われていた手法は真のリアリズムではないという批判精神が出発点。人間の深層心理や無意識の世界を開放してこそ、本当のリアリズムが表現されると考えたのです。

思想の中心となった人物がアンドレ・ブルトン

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Von MOSSOT - Eigenes Werk, CC BY 3.0, Link

アポリネールが発案した造語シュルレアリスムは、詩人であるアンドレ・ブルトンを中心に広がっていきます。アンドレ・ブルトンは、シュルレアリスムの流行が終わったあともその探求を続けた、生粋のシュルレアリストと言えよう人物でした。

1924年に発表された「シュルレアリスム宣言」

「シュルレアリスム宣言」が起草されたのは1924年。このタイミングがシュルレアリスムと始まりとされています。1924年に発表されたのが「第一宣言」。その後、1929年に「第二宣言」が発表されました。

ブルトンはシュルレアリスムの表現方法を、心が自動的に表現する口述や記述であると定義。理性によるフィルターを取り除き、あらゆる先入観を排除した思考により表現したものであると考えました。

自動記述の作品『溶ける魚』の序文として執筆

もともと「シュルレアリスム宣言」はブルトンの物語集である『溶ける魚』の序文として書かれたものです。ブルトンの記憶からあふれ出たイメージを自由連想風に記述した作品でした。

パリの光景、歴史上の出来事や伝説、詩人たちの作品の引用を、思いつくままに表現した挑戦的な作品。同時に精神を病んでいたと言われるブルトンの脅迫観念や死に対する願望も感じさせる内容でした。

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理論的なベースになったのがフロイトの精神分析

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ブルトンが「シュルレアリスム宣言」を起草するにあたり理論的なベースになったのがジークムント・フロイトの心理学。フロイトはオーストリアの精神科医。神経症、自由連想法、無意識の研究を行いました。

自由連想法は詩人に大きな影響を与える

ブルトンに大きな影響を与えた自由連想法は、ある言葉を提示されたときに思い浮かぶ考えを連想させていく方法です。最初に提示された言葉と、連想された言葉の関係を分析することで、心理的に抑圧されているものを探り出すものでした。

フロイトが自由連想法を研究したのは精神分析をするため。しかし彼の理論は文学の世界に大きなインパクトを与えました。ブルトンの『溶ける魚』の自動記述は、フロイトの自由連想法に基づくもの。それがシュルレアリスムの実践と位置づけられました。

フロイトの無意識の研究は人間解放の表現に変化

フロイトの自由連想法は人間の心の奥底にある深層心理を表面化させること。日常生活のなかで人間は、理性によりトラウマを抑圧しています。大人になってその影響があらわれるとフロイトは考え、この方法を研究するようになりました。

シュルレアリスムの芸術家たちは、これまでの芸術は表面的なものにすぎず、本当の深層心理を表現していないと考えました。そのようなときフロイトの研究は、「本当の人間の姿」とは何か探求するきっかけとなったのです。

「シュルレアリスム」の拠点は第一次世界大戦後のパリ

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By CPA - Delcampe, Public Domain, Link

シュルレアリスムの活動の拠点となったのが第一次世界大戦後のフランス・パリ。大戦後のパリは、フランス国内はもちろん、ヨーロッパ、アメリカ、日本など、様々な国から芸術家があるなる、一大芸術サロンとしてにぎわっていました。

大戦による疲弊が前衛的なチャレンジの原動力に

第一次世界大戦後、アメリカは経済が急速に発展して「狂騒の1920年代」を迎えます。また、現在の映画界の中心にあるハリウッド映画が確立したのも、第一次世界大戦後のタイミングでした。

それに対してヨーロッパは大戦の影響により経済的に疲弊します。大企業や巨大資本の影響力が少なかったヨーロッパは、利益の追求ではなく純粋の芸術的な表現を探求できたのです。

多岐にわたるシュルレアリストのジャンル

芸術に対する自由な気風のなかシュルレアリスムの理念を取り入れた作品が続々と発表されます。そのジャンルは、小説、詩、絵画、彫刻、写真、映画など多岐にわたりました。

また、1910年代に沸き起こったダダイズムの芸術家もシュルレアリスムの運動と結びつきました。ダダイズムは、第一次世界大戦に対する反発から生まれた運動。従来の方法や価値観を破壊するという意味で、シュルレアリスムと共通するものがありました。

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代表的な「シュルレアリスム」の芸術家たち

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Par Van Vechten, Carl, 1880-1964, photographer — Cette image a été retouchée, ce qui signifie qu'elle a été modifiée par ordinateur et est différente de l'image d'origine. Liste des modifications : cleaned, edges reconstructed., Domaine public, Lien

シュルレアリスムは流行した期間が短かったものの、その魅力に取りつかれた有名芸術家が運動に参加しました。そこで代表的なシュルレアリスムの芸術家を2名紹介します。

奇人としても知られるサルバドール・ダリ

アンドレ・ブルトンを除くと、もっとも有名なシュルレアリスムの画家となるのがサルバドール・ダリです。ダリはスペインの画家で自らを「天才」と豪語した奇人としても知られていました。1927年にパリに行ったときにシュルレアリスムの個展を訪れ、その運動に共感します。

ダリの作品の特徴は、写実主義の手法を用いながら夢のような世界を描き出すというもの。奇妙にゆがんだ時計や動物、抽象的な胎内のイメージを表現しました。

パブロ・ピカソも「シュルレアリスム」に一時傾倒

また、キュビスムの創始者としても知られるパブロ・ピカソもシュルレアリスムに参加した芸術家のひとりです。シュルレアリスム時代のピカソの作品のひとつが『ミノタウルス』。化け物のように変形した女性の姿が描かれました。

キュビスムの幾何学的な作風とは異なり、シュルレアリスム時代のピカソは、曲線を多用した作品を生みだします。登場する人物は化け物のようなもの。それは、妻との不和によるピカソの深層心理をあらわしています。

「シュルレアリスム」は写真や映画にも影響を与える

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Holger.Ellgaard 14:15, 17 October 2007 (UTC) - egen bild, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

シュルレアリスムの手法は写真や映画のような視覚芸術にも及んでいきます。ときには複数のジャンルの芸術家がコラボレーションすることもありました。

マン・レイはソラリゼーションをはじめて活用

シュルレアリスムの写真家として有名な人物がマン・レイ。彫刻家として多数の作品を残しましたが、同時にシュルレアリスムを表現するために写真的技法の開発にも取り組みました。

フォトグラムは印画紙のうえに物を置いて感光させるもの。ソラリゼーションは露出を過剰にすることで白と黒を反転させる方法です。ソラリゼーションは、助手で愛人の女性が現像中に誤ってドアを開けたことで生じたもの。そのまま作品化しました。

『アンダルシアの犬』を監督したルイス・ブニュエル

シュルレアリスムの映画として今日も古典的名作とされているのが『アンダルシアの犬』。ブニュエルとダリの共同制作作品です。映画の最初にでてくる、女性がカミソリで眼球を切られるシーンは『アンダルシアの犬』の代名詞ととなりました。

『アンダルシアの犬』は男女の感情のもつれを描いているもののストーリーの展開はなく、奇妙な映像が次々と映し出される前衛的な作品です。同作品は、当時シュルレアリスムに心酔していた芸術家や批評家に熱狂的に支持されました。

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日本の芸術界にも「シュルレアリスム」が上陸

Futomihama,Kamogawa,Chiba 千葉県鴨川市太海浜 DSCF7475.JPG
松岡明芳 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

本拠地であるフランス・パリにおけるシュルレアリスム運動は短期間で終わります。しかし日本では、その運動の影響は長く続くのみならず、戦後のサブカルチャーの土壌の一部にもなりました。

日本の理論的中心人物となった瀧口修造

日本のシュルレアリスムの理論的中心となったのが詩人の瀧口修造。第二次世界大戦前後にかけて活躍しました。シュルレアリスムの存在を知った瀧口はアンドレ・ブルトンの原書を読みあさり、日本で初めて翻訳しました。

第二次世界大戦後、瀧口はブルトンと交流を深め、前衛的な芸術作品の紹介に努めます。さらに彼は、日本アヴァンギャルド美術家クラブ創立に参加し、若手芸術家に自由な表現の場を提供することに奔走しました。

安倍公房の「S・カルマ氏の犯罪」は人間と現実の関係を追求

小説家で劇作家である阿部公房もシュルレアリスムの影響を受けたひとり。とくに運動の影響が強くあらわれているのが『壁』というタイトルの中編・短編集です。そこに含まれている「S・カルマ氏の犯罪」はシュルレアリスムの影響がある代表的作品となりました。

「S・カルマ氏の犯罪」は、主人公の男性が名前を突然に失い、さらに裁判にかけられたというもの。主人公の目には奇妙なイメージの数々が映し出され、最後に彼自身が壁と一体化してしまいます。この作品は芥川賞を受賞しました。

シュルレアリストの精神を受け継いだつげ義春の「ねじ式」

サブカルチャーを代表する漫画家つげ義春の世界観もシュルレアリスムの影響があると言われています。1968年に『月刊漫画ガロ』にて発表されたのが「ねじ式」。クラゲに腕をかまれた少年が医者をもとめて奇怪な世界をさまようというものでした。

つげ義春の漫画で描かれた悪夢のような場面や、奇妙に変形する体の表現は、当時の批評家の分析対象となります。しかしつげ義春自身は、特定の運動や思想とのつながりを否定しました。

「シュルレアリスム」は人間の無意識の世界に向き合った芸術運動

シュルレアリスムは、人間の理性と無意識の世界に向き合った芸術運動のひとつです。第一次世界大戦を体験し、ヨーロッパの戦火を目の当たりにした芸術家たちが、既成の価値観に疑問を呈するかたちで活発化しました。ブルトンにより確立された理論は難解で教義的。そのため狭い意味でのシュルレアリスム運動は短命です。しかし、その運動の理論や表現方法は消えたわけではなく、日本では1970年代までその影響が見え隠れしました。芸術運動を日本を含めて広い視野から見てみると、芸術史のダイナミックな広がりに気が付くことができると思います。

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「シュルレアリスム」とはどのような芸術運動?その思想や方法を元大学教員がわかりやすく解説

芸術史上の運動のひとつとして登場するのが「シュルレアリスム」。アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」に端を発する運動で、フロイトの精神分析の理論の影響も受けている。人間の無意識の世界に果敢にチャレンジする数々の技法は詩作や絵画だけではなく映画製作にも影響を与えた。

それじゃ、「シュルレアリスム」がどのように展開したのか、その意味や方法を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。芸術史をたどるとき「シュルレアリスム」を避けて通ることはできない。第一次世界大戦後に生まれたこの運動作品は無意識の現象を現実にて表現するチャレンジ。そんな芸術家の方法を、今日に与えた影響も含めて解説していく。

「シュルレアリスム」とはどんな意味の言葉?

image by PIXTA / 4729593

シュルレアリスムは「シュル」と「レアリスム」を結び付けた造語。「シュル」を英語読みすると「シュール」。「~の上」「~の上を越える」という意味があります。シュルレアリスムは「レアリスム=現実」を表面と捉え、その先にある真の現実を追求する運動と言えるでしょう。

アポリネールがつくった造語が「シュルレアリスム」

シュルレアリスムという言葉を生み出したのはフランスの詩人であるギヨーム・アポリネール。当時、不遇の時代にあったキュビズムの画家たちを評価し、光をあてた人物でもあります。

アポリネールが初めてシュルレアリスムという言葉を使ったのは1917年。ジャン・コクトーが台本、エリック・サティが音楽、ピカソが舞台芸術、レオニード・マシーンが振付した前衛的なバレエ『パラード』の初演のプログラムのなかでした。

理性を排除した無意識のイメージを表現する試み

シュルレアリスムは現実と切り離された世界に興味があると思われがちですが、それは違います。実際は、理性を排除した無意識のイメージを通じて現実を追求しているという点で、まったくの無関係であるとは言えません。

シュルレアリスムは、これまでリアリズムと言われていた手法は真のリアリズムではないという批判精神が出発点。人間の深層心理や無意識の世界を開放してこそ、本当のリアリズムが表現されると考えたのです。

思想の中心となった人物がアンドレ・ブルトン

Paris 9 - Comédie de Paris -3.JPG
Von MOSSOTEigenes Werk, CC BY 3.0, Link

アポリネールが発案した造語シュルレアリスムは、詩人であるアンドレ・ブルトンを中心に広がっていきます。アンドレ・ブルトンは、シュルレアリスムの流行が終わったあともその探求を続けた、生粋のシュルレアリストと言えよう人物でした。

1924年に発表された「シュルレアリスム宣言」

「シュルレアリスム宣言」が起草されたのは1924年。このタイミングがシュルレアリスムと始まりとされています。1924年に発表されたのが「第一宣言」。その後、1929年に「第二宣言」が発表されました。

ブルトンはシュルレアリスムの表現方法を、心が自動的に表現する口述や記述であると定義。理性によるフィルターを取り除き、あらゆる先入観を排除した思考により表現したものであると考えました。

自動記述の作品『溶ける魚』の序文として執筆

もともと「シュルレアリスム宣言」はブルトンの物語集である『溶ける魚』の序文として書かれたものです。ブルトンの記憶からあふれ出たイメージを自由連想風に記述した作品でした。

パリの光景、歴史上の出来事や伝説、詩人たちの作品の引用を、思いつくままに表現した挑戦的な作品。同時に精神を病んでいたと言われるブルトンの脅迫観念や死に対する願望も感じさせる内容でした。

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