
本気で意見を主張「全共闘世代」の状況を平成産まれのライターが客観的にわかりやすく解説
5-3.まさかの東大入試がなくなる

受験生の皆さんが聞くと特にショッキングな出来事。1969年、なんと東大の入試が中止になりました。ストライキや授業中止が相次いでいて、まともに運営出来ておらず、新入生を迎えることは難しいと判断されました。東大を目指していた現役生は浪人か別の大学を受ける、浪人生はもう一浪か別の大学を受けることに。
次の年の東大入試は単純計算で志願者が2倍になると思うと、絶望ですね。
6.全国的に広がる
安田講堂のバリケードが解体されたことで、東大での全共闘運動は下火に。しかし、皮肉にも東大紛争をきっかけに、全国の他大学に全共闘運動が一気に広がります。
1969年(昭和44年)頃には、京都大学をはじめ、北海道大学、東北大学、一橋大学、東京外国語大学、東京教育大学、横浜国立大学、静岡大学、信州大学、金沢大学、名古屋大学、大阪大学、大阪教育大学、大阪市立大学、岡山大学、広島大学、九州大学、熊本大学、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学、法政大学、日本大学、東洋大学、中央大学、同志社大学、立命館大学、関西大学、関西学院大学、など、日本の主要な国公立大学や私立大学の8割に該当する165校が全共闘による闘争状態にあるか全学バリケード封鎖をしました。
7.学生運動の陰り
全国で全共闘運動が盛んに起きますが、最終的には鎮圧されてしまうことに。「せっかく主張しても力で封じ込まれる」というムードが出てきます。そこで、2手に分かれました。諦める派orもっと頑張る派。
8.武装化
「武装するのはさすがに抵抗がある」そう思う人が多いもの。闘争活動をする人数が減っていき、学生運動は徐々に下火になってきます。一方、闘争を続ける選択をした人たちは、鎮圧されないよう武力を強化。武装化して闘争を続けることを選んだ過激派は武器の調達を試みました。
8-1.警察官を襲撃
上赤塚交番襲撃事件:1970年12月18日、過激派メンバー3人が板橋区の志村警察署上赤塚交番を襲撃。応戦した警官によって、過激派メンバーの一人が射殺されました。日本の左翼運動家が警察官に射殺された初めてのケース。
8-2.猟銃店を襲撃
警察官の襲撃に失敗した過激派グループは鉄砲店からの銃強奪を実行します。
真岡銃砲店襲撃事件:1971年2月17日、過激派グループの6人が電報配達を装って栃木県真岡市の銃砲店の勝手口を叩き乱入し、一家4人を縛った上猟銃10丁(散弾銃9、ライフル1)空気銃1丁・鉄弾約2300発を強奪。
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